街角ミュージアム(61) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・「主題派大作展」に引き続き「群展」も終了しました。ご観覧いただきました皆様に感謝申し上げます。

 

 

・・・「新歌舞伎座跡」工事進捗を見に来る機会が多くなり、こんな碑があることも発見しました。

 

 

《御堂筋(国道25号・国道176号)》昭和63年8月10日 建設省・大阪市

御堂筋は大正10年に画期的な都市計画道路として計画され、大正15年10月に着工、昭和12年5月に完成しました。大阪の二大ターミナル「キタ」と「ミナミ」を結ぶこの道は商都大阪の大動脈として、重要な役割を果たしています。また、広い植樹帯に植えられたいちょうやプラタナスは、沿道の街並に調和し、憩いの場として道行く人々に親しまれています。この碑は、御堂筋が「日本の道100選」に選定されたのを機に、大阪のシンボルとして、これからも広く親しまれることを願い建てたものです。

 

《参考1》「日本の道100選」/矢崎総業

https://www.yazaki-group.com/100ways/

日本の特色ある優れた道★104本のこと。道の日の制定を記念して、1986年および1987年に、建設省と「道の日」実行委員会により制定されました。交通の要所である国道から、小さな散歩道まで、日本にはたくさんの道があります。どの道をゆく人にもお役に立てる企業でありたい。そんな気持ちを込めて、★矢崎総業では、「日本の道100選」を題材に、サウンドコンテンツを制作しました。全てのコンテンツを公開していますので、あなたの好きな道を音でお楽しみください。

https://www.yazaki-group.com/100ways/kinki/#05

御堂筋/ケヤキ並木やイチョウ並木、数々のモダンな建物、ブロンズ像にキラキラゆれる電灯。ここ大阪には、★道道楽という文化もあるそうです。

 

 

《参考2》御堂筋ものがたり/熱田画廊(熱田親憙)

毎日新聞連載「御堂筋ものがたり」(大阪版・2007年7月~2008年9月25日)

http://www.atsuta-garo.com/midosuji_story1.htm

 

《都市再生機構URなんば営業センター》

542-0076大阪市中央区難波4-1-15(近鉄難波ビル7階)/06-6636-2903

http://www.ur-net.go.jp/kansai/information/4.html

独立行政法人都市再生機構は、機能的な都市活動及び豊かな都市生活を営む基盤の整備が社会経済情勢の変化に対応して十分に行われていない大都市及び地域社会の中心となる都市において、市街地の整備改善及び賃貸住宅の供給の支援に関する業務を行うことにより、社会経済情勢の変化に対応した都市機能の高度化及び居住環境の向上を通じてこれらの都市の再生を図るとともに、都市基盤整備公団から承継した賃貸住宅等の管理等に関する業務を行うことにより、良好な居住環境を備えた賃貸住宅の安定的な確保を図り、もって都市の健全な発展と国民生活の安定向上に寄与することを目的とする。(独立行政法人都市再生機構法第3条)

 

 

《野村證券なんば支店》

近鉄難波ビル1~5階/06-6632-5081

http://www.nomura.co.jp/branch/branch/nanba.html

1918年(大正7)に野村財閥の二代目 野村徳七によって設立された★大阪野村銀行(後の大和銀行・現:りそな銀行)の証券部が独立し1925年(大正14)12月1日に野村財閥の総司令部である野村合名の直系会社として創立された。資本金は500万円で第1回払込みとして250万が徴集され、10万株のうち野村合名が98000株 (98%) を所有し、残りも徳七個人の800株をはじめ、すべて野村一族、大番頭らによって出資された。本店は★大阪市東区安土町2丁目(現在の大阪市中央区:元の同社大阪支店の所在地)に置かれた。(当時の社長は片岡音吾)。野村證券は、「調査の野村、情報の野村」といわれ、豊富な情報力と正確かつ敏速な分析力を駆使し、さらに「ノルマ証券」と異名を与えられるほどの徹底した営業力で、現在の絶対的な経営基盤を築いてきた。飯田清三が社長だった1941年(昭和16)に日本初の投資信託業務の認可を受け、1946年(昭和21)に東京に本社を移転。

 

・・・野村證券の前身である「野村商店」、明治後期には大阪本町に店舗をおいていました。『野村證券は★大阪で生まれ、共に成長してきました』など、野村の歴史を紹介するパネルが展示されています。

http://www.nomuraholdings.com/jp/company/basic/index.html

 

 

《参考》「りそなグループ大阪本社ビル」

設計:1991安井建築設計事務所・東畑建築事務所

541-0051大阪市中央区備後町2-2-1/06-6268-7400

りそな銀行の前身である大和銀行では、同行が前商号の大阪野村銀行であった1924年(大正13)以来、同年に同行の本店として建築された堺筋野村ビルディングを本店としたが、同行では同建物を「大和銀行本店ビル」として建て替えることを決定したので、同建物の新館・旧館および附帯施設を取り壊した跡地において1991年(平成3)7月竣工した。大和銀行は2003年(平成15)に、あさひ銀行と合併し、りそな銀行となったので、りそな銀行本社ビルと改称された。合併後は同行およびりそなホールディングスの登記上の本店・本社所在地がおかれていたが、りそなホールディングスは2010年(平成22)6月25日をもって登記上の本社を東京に移転した。

敷地には植え込みを配した公開空地が設けられており、同年の大阪施設緑化賞(みどりの景観賞)優秀賞を受賞している。また★堺筋野村ビルディングの柱の一部も保存されている。

 

《1924堺筋野村ビルディング》設計★片岡安(1987解体)

 

【片岡安】(1876~1946)

大阪で活躍した建築家。金沢市長(1期)。東京帝国大学工科大学造家学科卒業。1905年(明治38)辰野金吾と辰野片岡建築事務所を開設。1940年11月から1943年9月まで大阪商工会議所会頭。現存する作品としては、1912日本教育生命保険(現:オペラ・ドメーヌ、レストランウエディング1918大阪市中央公会堂(実施設計)などがある。1936大阪信用金庫日本橋支店【旧本店】は、2013年1月に閉店。建物は解体され地上7階建てのビルに建て替えられた。