《1987梅田センタービル》設計施工:竹中工務店
530-0015大阪市北区中崎西2-4-12/06-6373-9981
https://www.ucb.co.jp/index.html
第29回BCS賞(1988)「BCS賞」は、「優秀な建築物をつくり出すためには、デザインだけでなく施工技術も重要であり、建築主、設計者、施工者の三者による理解と協力が必要である」という建築業協会初代理事長竹中藤右衛門の発意により昭和35年(1960)に創設され、以後、わが国の良好な建築資産の創出を図り、文化の進展と地球環境保全に寄与することを目的に毎年、国内の優秀な建築作品の表彰を行っております。
《参考》大阪・梅田に誕生する “ぴちょんくん”看板の点灯日、名称が決定
http://www.daikin.co.jp/press/2016/160304/index.html
ダイキン工業株式会社は、大阪・梅田のシログチビル屋上にて設置工事を進めている当社キャラクター“ぴちょんくん”の巨大看板を、3月16日(水)夜より点灯します。また、看板と連動するウェブサイト「ぴちょんくんNOW」上で、本日より点灯に向けたカウントダウン企画を開始します。点灯に先立ち、看板を「大(だい)ぴちょんくん」と名づけました。この看板が、大阪の新たなシンボルとして皆さまから愛される存在になってほしいという願いを込めて、大阪の「大」、社名であるダイキン工業の「ダイ」から名称を決定しました。当社は空調メーカーとして、身近でありながら日ごろ意識されにくい“空気”について、多くの方々に興味を持ってもらいたいとの想いから、これまで気温表示付きの屋外看板を設置してきました。今回の大阪・梅田の屋外看板の全面改装にあたり、今まで以上に“空気”に興味を持っていただけるよう、幅広い年代の方に人気がある“ぴちょんくん”をデザインに採用し、2015年5月より設置工事を進めてきました。新たに誕生する空気の看板「大ぴちょんくん」は、高さ13メートル、横幅11メートルの巨大なフルカラーLED看板です。この看板では温度や湿度などの情報に加え、当社が独自に開発した、空気の快適性を判定する『ダイキン空気感インフォメーション』に基づき、大阪・梅田のその日、その時の空気感を9色の“空気(きゅう)色(しょく)ぴちょんくん”と擬音語で表現し、街を行き交う人々にお伝えします。“空気”に対し、これまで以上に多くの方々に興味を持っていただけるよう、空気の看板「大ぴちょんくん」を通じ、さまざまな情報をわかりやすくお伝えしていきます。また、人々に役立つ情報を発信し、「大ぴちょんくん」が皆さまから愛される存在になることをめざします。
【空気の看板「大ぴちょんくん」とは】
より多くの皆さまに、よりよい空気をお届けしたい。そんな想いから、当社は空気のスペシャリストとして目に見えない空気の大切さを伝えてきました。良い空気の条件である、快適な温度と湿度。このダイキンがもっとも重視する「温度と湿度の関係」をまだまだ皆さまにお伝えしきれていません。この度、ダイキンはシンボルキャラクターである「ぴちょんくん」をモチーフに空気の大切さを伝える「空気の看板」として、大きなぴちょんくん型の看板を大阪梅田に設置。その親しみやすく愛らしいキャラクター性を活かし、より多くの方に空気の情報に触れていただき、空気の大切さに気付いていただきたいと考えます。キタの新たなシンボルとして、大阪の皆さまから愛される存在になれるように願い、ダイキンの「ダイ」と大阪の「大」からとって、この看板を名付けました。 大阪からダイキンが空気の大切さを発信する。空気の看板「大ぴちょんくん」です。
《参考》日東建装社
530-0015大阪市北区中崎西2-3-6/06-6371-5471
http://www.nittokensosha.co.jp/
永年、私達は総合ディスプレイ会社として様々な企業の空間づくりのお手伝いをさせて頂いてきました。今求められるのは美しい空間造形や派手な演出だけではなく、人とモノを介在させる空間として環境、安全、コスト、快適さ等、全ての面で最適であること。これは構成する技術や素材のみならず、クライアントやその先のお客様の気持ちに立った真摯な取り組みがなければ作り上げることはできません。私達はデザイン、設計、製作、施工まで誠意を持ってより感動のある、素敵な空間づくりをめざしていきます。
《1990「毎日放送本社ビル」M館》設計:日建設計
《2014「毎日放送本社ビル」B館》設計:大林組
530-0013大阪市北区茶屋町17-1/06-6359-1123
1950新日本放送(株)設立/1951開局、ラジオ本放送開始/1958社名を(株)毎日放送に改称/1959テレビジョン本放送開始/1961千里丘スタジオ完成/★1990大阪市北区茶屋町に本社移転/2001ユニバーサルスタジオジャパンにスタジオ進出/2003テレビ地上デジタル放送開始/2006ワンセグ放送開始/2008千里丘ミリカセンター運用開始・東京支社移転
【浜崎町】
●町域の変遷/当町は明治初頭、西成郡の本庄村・南浜村の各一部であったが、明治22年4月1日の町村制の施行にともない、豊崎村の大字本庄・大字南浜の各一部となり、同30年4月1日に大阪市に編入されて、北区の豊崎大字本庄・豊崎大字南浜となった。 同33年4月1日に豊崎大字本庄の一部が本庄西権現町となり、豊崎大字南浜が南浜町となった。大正13年6月1日に南浜町・本庄西権現町の各一部が浜崎町となった。
●住居表示の実施/昭和53年2月1日の住居表示の実施にともない、浜崎町は新しい鶴野町・新しい茶屋町・中崎西三~四丁目の各一部となった。
●町名の由来/町名は、市域に編入された際の旧村名豊崎と、大字名の南浜から一字ずつをとり、合成させたことに由来する。
【豊宮町】
●町域の変遷/当町は明治初頭、西成郡南浜村の一部であったが、明治22年4月1日の町村制の施行にともない、豊崎村大字南浜の一部となり、同44年12月20日に豊崎村南浜の一部に、同45年1月1日に豊崎町南浜の一部となった。大正14年4月1日に大阪市に編入され、東淀川区南浜町の一部となった。昭和2年4月1日に南浜町の一部が豊崎東通一丁目となった。同18年3月31日の行政区画の変更にともない、豊崎東通一丁目のうち市道豊崎鷺洲線(阪神電鉄北大阪線併用道路)南側以南が北区に編入されて豊崎東通一丁目となった。同19年1月1日に豊崎東通一丁目が豊宮町となった。
●住居表示の実施/昭和53年2月1日の住居表示の実施にともない、豊宮町は新しい鶴野町・新しい茶屋町・中崎西四丁目の各一部となった。
●町名の由来/町名は、長柄豊碕宮の所在を当地に比定する説に因んで付けられたもので、豊碕宮の「豊」と「宮」を合成して用いた。しかし、現在ではこの地に 長柄豊碕宮 が所在した根拠は極めて薄く、法円坂(中央区)難波宮跡説が有力である。
《1992ちゃやまちアプローズ「梅田芸術劇場」》設計施工:竹中工務店
530-0013大阪市北区茶屋町19-1/06-6377-3800
前身となる★「梅田コマ劇場」は1956年11月16日、株式会社梅田コマ・スタジアムによって開場した。現在の「HEP FIVE」の東半分の位置にあり、「梅田コマ・ゴールド」「梅田コマ・シルバー」の2つの映画館も併設していた。長らく「ウメコマ」の愛称で親しまれたが、建物の老朽化などもあり、1992年9月28日の『夫婦善哉』公演を最後に閉場した(劇場跡地には、西接していた「阪急ファイブ」が拡張される形で1998年11月28日、HEP FIVEが開業)。1992年11月2日、現在地に移転し「劇場・飛天」として再開場した。「梅田コマ劇場」の飛躍発展的移転という位置づけであることや、「コマ」の名称が示す円形舞台を採用しなかったため、敢えて劇場名から「コマ」の名称を外した。だが、移転前の「梅田コマ劇場」と比べ、駅からの移動距離が長くなったことで思うように集客が伸びず、加えて、改称後も「コマ」のイメージが強く「飛天」の名称が浸透しなかったことから、2000年4月に劇場名を再び「梅田コマ劇場」に戻した。2005年4月1日に阪急電鉄がシアター・ドラマシティと併せて買収し、「梅田芸術劇場」(梅芸)としてリニューアルオープン。旧梅田コマ劇場はそのメインホールとなり、現在に至る。客席の天井中央には、大きなシャンデリアがある。開演前には、低く下ろし、開演と同時に天井に引き上げる仕掛け(現在は常時引き上げた状態)である。客席数:1905席、高さ:11m、間口:21m、奥行:19m。
《宝塚大学「看護学部」梅田キャンパス》
530-0012大阪市北区芝田1-13-16/06-6376-0853
http://www.takara-univ.ac.jp/kango/
大阪の中心地、梅田にあってひときわ異彩を放つ「 梅田キャンパス」が看護学部のメインキャンパス。キャンパスビルは建築設計★安藤忠雄氏、ライティングインスタレーションをジェームズ・タレル氏という2人の世界的アーティストが担当。地上11階・高さ60mのビルに、充実の看護教育研究施設を配しています。