・・・「永田屋昆布」から西へ西へ。
【安藤パラケミー】(大阪支店)
540-0031大阪府大阪市中央区北浜東2-18/06-6941-6416
文政年間、尾張名古屋船入町において、通称柏屋小兵衛(安藤善祐=西暦1790~1874)が、★蝋、油、砂糖商を営み財をなし、広く大阪までその名を知られたのが発祥。明治45年2月23日、代表社員伊藤藤市らが出資金3万5千円にて★大阪市東区に合名会社「安藤商店」を設立。平成4年11月15日、大阪支店新築。
平成8年6月17日、大阪支店内に、「ワックスギャラリー」を開設。WAXギャラリーでは、ワックスに関する歴史や解説、ワックスを使った製品のサンプルや色とりどりのキャンドル・珍しいキャンドル・手作りキャンドルなどを展示しております。ご見学は自由に行っていただけますが、事前にご連絡をいただければ、各コーナーについての解説をさせていただきます。
・・・「WAXギャラリー」からさらに西へ。
【エルおおさか】(大阪府立労働センター)
540-0031大阪市中央区北浜東3-14/06-6942-0001
本館低層階は就職支援サービスの「OSAKAしごと館」として、JOBカフェOSAKA、JOBプラザOSAKA、若者就労自立支援センターなどがあり、中高層階は会議室やギャラリー、連合大阪をはじめ、各種労働団体などの事務局になっている。南館には大阪府総合労働事務所などが入る。
《エル・おおさか南館(労働センタ-南館)》
★「街角ミュージアム」展示室
http://www.occpa.or.jp/ikou/machikado_M/machikado_M03.html
1987年の発掘調査で、大坂夏の陣で焼け落ちたとみられる武家屋敷跡がこの地で見つかりました。ここは豊臣期大坂城惣構(そうがまえ)内北西の重要な位置にあたり、門の礎石と石垣は有力大名の屋敷を想定させるものです。礎石と石垣は南館の建物の外に復元しています。展示の遺物は陶磁器、魚名の書かれた木簡、瓦、日常使用された金属器や木製品で、とくに目を引くのは桔梗文(ききょうもん)の鬼瓦です。金箔こそありませんが、立派な建物の屋根を飾っていたものでしょう。
【大阪文化財研究所】
540-0006大阪市中央区法円坂1-1-35
アネックスパル法円坂(旧:大阪市立中央青年センター)6F/06-6943-6833
★「街角ミュージアム」
http://www.occpa.or.jp/ikou/machikado_M/machikado_M.html
大阪市内に点在する、小さな展示室のことです。発掘調査で出土した資料を出土した場所やその周辺で展示することで、歴史をより身近に感じてもらえると考えています。博物館とはひと味違った展示を是非見学に出かけて下さい。
★参考【国立産業技術史博物館】
http://stroller.blog.eonet.jp/stroller/2009/03/post-03a9.html
「万博」終了後、会場跡地に計画された二つの博物館。一つは梅棹忠夫さんが中心となった「国立民族学博物館」。そして、もう一つが、吉田光邦さんが中心となり、幻に終わった「国立産業技術史博物館」です。2009年3月26日、大阪「万博公園」に保管されていた産業遺産資料は、管理していた任意団体が解散になり廃棄されてしまいました。この産業遺産の保管に関しては、1996年以降、全く予算措置が講じらず、メンテナンスその他は、すべて武庫川女子大学の三宅宏司教授が個人の研究費を投じて、細々と行ってこられました。多くの資料、機械類、それも重量級のものが多く含まれているため、名実共に関係機関や行政にとっては負担の大きいことです。金属加工機械類が約六百五十点、鋳造関係が文書資料約二万点と機器類が約四百点、繊維工業機械類三十一点、火力発電機器類二十七点、工作機械類八点、理化学関係が文書約一千点と機器類約百点、製茶機器類八点、その他約四十点、実に膨大な資料収蔵物の大半が廃棄されスクラップとされてしまったわけです。慌てて駆けつけ、回収された企業博物館の方や、製造業関係者の方たちも少なからずおられました。そんな中で★「大阪産業労働資料館(エル・ライブラリー)」が、資料の引き受けを申し出られました。
【大阪産業労働資料館(エル・ライブラリー)】
エルおおさか4階/06-6947-7722図書係
労働組合や企業、市民団体の貴重な歴史的資料を数万点所蔵する歴史資料館であり、最新の労務管理情報・賃金データなどを収集する図書館でもあります。皆様からのご寄付によって運営しています。ご協力をよろしくお願い致します。
・・・「エルおおさか」の東側に鎮座するのが、
【坐摩神社行宮】
540-0033大阪市中央区石町2-15
小祠の前に鉄柵で覆われた神功皇后の鎭座石と称する巨石がある。もとはこの上に本殿があった。豊磐間戸・奇磐間戸二神を奉齋している。★「石町(コクマチ)」の地名はこの鎭座石に由來している。
1582年(天正10)豊臣秀吉の大坂築城に当たり替地を命ぜられ、寛永年間現在地に遷座されました。現在の鎮座地名を渡辺と称するのも、元の地名が移されたもので、全国の渡辺・渡部等の姓の発祥の地でもあります。旧社地と伝えられる石町には現在も当社の★行宮(御旅所)が鎮座されています。