・・・「大阪府庁」を掲載したのですから、「大阪市庁」も紹介しなければなりません。
【大阪市役所江之子島庁舎跡】
http://www.city.osaka.lg.jp/kensetsu/page/0000009523.html
大阪市の誕生は1889年(明治22)であるが、そのときは特例によって府知事が市長の職務を行ない、職員もすべて府の職員という変則的なものであった。庁舎も、もちろんなかったが、1898年(明治31)には特例廃止により小規模ながらも独立の庁舎をもつようになった。それが江之子島庁舎である。その後、1912年(明治45)には堂島へ、現在位置へは1921年(大正10)に移転した。
《大阪市役所本庁舎の玄関ホール等の活用について》より
http://www.city.osaka.lg.jp/somu/page/0000023279.html
大阪市役所は、2期に分けて建設され、昭和60年12月に完成しました。現在の建物は、明治22年の市政施行当時の建物から数えて5代目になります。
1889年(明治22)1代目「江之子島府庁舎内」市制・町村制と市制特例により、府政一体としての大阪市が誕生する。初代市庁舎、江之子島の府庁舎内に設置される。
1898年(明治31)大阪市として府から独立。
1899年(明治32)2代目「江之子島庁舎」府庁舎の隣に自前の市庁舎を建設、移転。
1912年(明治45)3代目「堂島庁舎」堂島浜に市庁舎を建設、移転。
1921年(大正10)4代目「中之島庁舎(旧庁舎)」4代目から現在地である中之島に建設されました。
1985年(昭和60)5代目「現在の庁舎」が完成しました。大阪市役所本庁舎では、1年を通してさまざまなセレモニーやコンサートなどが開催されています。本庁舎内でも特に正面玄関ホールは、スペイン産の大理石とイタリア産の大理石を使用し、3層吹き抜けでコンサートなどに適した設計となっており、セレモニーやコンサートの利用が特に多い場所となっています。
《日建設計115年の生命誌「過去を受け止め、未来へ投げる」》より
http://www.nikken.co.jp/ja/archives/history/07_03.html
堂島川と土佐堀川にはさまれた大阪の中之島。大阪市の南北の主要な軸線であり、美しいイチョウ並木をもつ御堂筋を挟んで、大阪市庁舎と日本銀行大阪支店が向き合って建っています。1912年(明治45)日本銀行大阪支店と大阪府立中之島図書館に挟まれた公園であった敷地を市庁舎用地として、大阪市庁舎を建設するための設計競技が行われました。その第一席には台湾総督府技手の小川陽吉が入賞し、その基本設計をもとに当時の建築界の第一人者であった片岡安と大阪市庁臨時建築課によって実施設計が行われました。1921年(大正10)ネオ・ルネサンス風の堂々とした庁舎が完成しました。
その57年後、行政業務の拡大と事務処理技術の変容に対応するため、新庁舎に建て替えることが決定され、「新市庁舎デザイン構想案コンペ」が行われました。採用された日建設計の提案では、旧庁舎のイメージを継承するとともに、日本銀行大阪支店・中之島図書館・大阪市立中央公会堂など、歴史的な風韻ある建築群との調和を保つことを大切なテーマとしていました。日建設計は、大阪市都市整備局の方々と共に設計監理に携わっています。外装は、彫りの深い花崗石の仕上げによるもので、花崗石の外壁にリズミカルに並べられた様式的な縦長窓には、銅と亜鉛の合金による建具が採用されました。また、新庁舎の議場には、旧庁舎の議場にあった大きな木製の彫りの深いアーチのイメージが丁寧に継承されています。新しい大阪市庁舎は1期と2期に分けて工事が行われ、全体が完成したのは1985年(昭和60)のことでした。