【東遊園地】
兵庫県神戸市中央区加納町6丁目にある都市公園で神戸市役所の南、フラワーロードの西に広がっています。1868年に「外国人居留遊園」の名称で開園した日本で★最初の西洋式運動公園とされており、開園当時は外国人専用でした。公園内には、★ボウリング発祥の地の碑★近代洋服発祥地の碑などの各種記念碑があります。震災に関するメモリアルモニュメントも数々設置されています。マリーナ像は地震発生の時刻のまま止まってしまった時計を抱え、震災当時の写真と震災の状況が描かれたプレートが前面に設置されています。また、毎年12月におこなわれる光の祭典「神戸ルミナリエ」では、東遊園地のグランドが終端の会場となっています。(メイン会場)神戸ルミナリエは阪神・淡路大震災の犠牲者の鎮魂と神戸の復興と再生を願い始まったもので、たくさんの電球を使った恒例のイルミネーションのイベントで毎年たくさんの人が訪れます。
◆「管理事務所・レストハウス」
建物は居留地時代の在留外国人の社交クラブとスポーツクラブの建物で、現在の東遊園地のこの付近にありました。それぞれの建物の特徴を、正面建物(管理事務所)と右側建物(レストハウス)の外観に活かしています。
◆「A.C.シム記念碑」
A.C.シムは、スコットランド人化学者であり、薬剤師。K.R.A.C(神戸レガッタ・アンド・アスレチッククラブ)の創設者。今は懐かしい“ラムネ”の発明者としても知られている。
1870年来日から1900年に死去するまで神戸の青少年のスポーツ振興だけでなく、居留地共同社会のために大いに貢献した。義勇消防隊の編成及びその隊長を永年に渡って勤めた。その他道路の建設・改修など公共事業の指揮・監督の任に当たり、全力を尽くした。また1894年岐阜大地震など各地の災害を聞くと自ら有志をつのり外国人社会からの救援物資を現地に運んだ。彼は1899年、居留地返還に際しては、その返還証書の署名者でもあった。1900年死去。再度公園外国人墓地に永眠している。この記念碑は、彼の死後、神戸はじめ横浜、長崎の友人たちがシムの奉仕的精神に富んだ社会奉仕を記念して、現在の東遊園地の南一隅(旧K.R.A.Cクラブハウス前)に建立したものである。
◆「モラエス翁胸像」
1854年にポルトガルのリスボンに生まれたモラエス(Wenceslau José de Sousa de Morais)は、1898年~1913年の間、外交官として神戸のポルトガル領事館に勤め、1913年に徳島に移り住んだ後、1929年に75歳で亡くなりました。日本に関する著作をポルトガルで多数発表しており、明治~大正の日本を海外に紹介した作家として知られています。
◆「ボウリング発祥・記念碑」
神戸開港間もない1869年4月20日、外国人居留地だったこの地にボウリング設備のある THE KOBE CLUB が誕生。長崎につぐボウリング伝来の地・神戸では、わが国スポーツ文化の夜明けに影響を与えるストライク交歓が活発にくり広げられた。
記念碑は1989年のボウリング発祥120周年、神戸市制100周年の記念碑建立計画に基づき、1991年7月23日に完成。
◆【神戸パールミュージアム(真珠会館)】◆登録年月日:20050712
650-0031神戸市中央区東町122・日本真珠会館1F/078-332-8050
http://www.japan-pearl.com/museum/
神戸の旧居留地に、レトロな真珠の博物館がオープンしました。そこでは、真珠のなりたちや魅力を伝える、模型や実物の真珠を展示しています。神戸が「真珠の街」と呼ばれるようになった歴史的な背景を、半世紀に渡ってみつづけてきた「日本真珠会館」という建物です。県内における戦後建築の本格的な出発点となる作品のひとつで、1階を黒御影石張、乳白色タイル張の2階以上を宙に浮かした様な造形と、スチールサッシ等戦後復興建材の意欲的な使用に時代的特徴がよく示されている。設計は兵庫県建築部営繕課の★光安義光さんです。
【居留地海岸通】
「東洋で最も美しく、よく設計された居留地」と賞賛された神戸居留地に隣接する海岸通です。
・・・これから「メリケンパーク」の展示を観に行きます。