・・・「東京建築」の外伝として「暁斎」「北斎」、そして「駿河台狩野家」について調べました。結果としての「作品」はもちろんですが、「作者」について知らないことが本当に多いなあと実感しました。そこで、「ひと」を中心にしたテーマ★「絵師画人伝」を設定することにしました。蛇足ですが、もちろん「魏志倭人伝」をパロっています。まずは、そこからスタートてです。
【参考】「魏志倭人伝」
http://www.yoshinogari.jp/ym/topics/
中国の歴史書『三国志』中の「魏書」第30巻烏丸鮮卑東夷伝倭人条の略称。当時、日本列島にいた民族・住民の倭人(日本人)の習俗や地理などについて書かれている。著者は西晋の陳寿で、3世紀末(280年(呉の滅亡)~297年(陳寿の没年)の間)に書かれ、陳寿の死後、中国では正史として重んじられた。
中国の正史中で、はじめて日本に関するまとまった記事が書かれている。『後漢書』東夷伝のほうが扱う時代は古いが、『三国志』魏志倭人伝のほうが先に書かれた。なお講談社学術文庫『倭国伝』では『後漢書』を先に収録している。当時の倭(後の日本)に、女王の都する★邪馬台国(邪馬壹国)を中心とした国が存在し、また女王に属さない国も存在していたことが記されており、その位置・官名、生活様式についての記述が見られる。また、本書には当時の倭人の風習や動植物の様子が記述されていて、3世紀の日本を知る史料となっている。しかし、必ずしも当時の日本の状況を正確に伝えているとは限らないことから、邪馬台国に関する論争の原因になっている。
【卑弥呼】(生年不明・247年あるいは248年頃)
http://www.aozora.gr.jp/cards/000284/files/4643_11096.html
『魏志倭人伝』等の中国の史書に記されている倭国の王(女王)。邪馬台国に都をおいていたとされる。封号は親魏倭王。後継には宗女の壹與が女王に即位したとされる。現代日本語では一般に「ひみこ」と呼称されているが、当時の正確な発音は不明。
日巫女(ひみこ)太陽に仕える巫女、の意/日御子(ひみこ)太陽神の御子、の意/姫子(ひめこ)姫御子(ひめみこ)/日女子(ひめこ)駒澤大学教授の三木太郎の説。男性の敬称「ヒコ(日子)」に対する女性の敬称。/日売子(ひめこ)比売后(ひめごう)古事記等に出てくる日女子や姫子と同じ意味を持つ別表記〈bi mài hòu〉魏の時代の中国の発音にもおおよそ合致する。/(ひむか・ぴむか)長田夏樹『新稿 邪馬台国の言語―弥生語復元―』学生社 2010年。3世紀の洛陽音の復元による。/日向(ひみか・ひむか)松本清張が唱えた、日向(日向国)と関係するとの説。/甕依姫(みかよりひめ)古田武彦が唱えた。風土記に出現する女性に該当。聖なる甕という意。俾弥呼の読みは「ひみか」とする説。/宮居(ぴやこ、みやこ)1937年に藤井尚治が「国史異論奇説新学説考」の中で唱えた説。中国の学者が、「宮居」を人名と誤解したとし、卑弥弓呼は「ミヤツコ(宮仕)」に、卑狗が「ミコ(皇子)」になるとする。など諸説ある。
伊藤博文著皇室典範義解第三十一条解説は「大宝令に自親王五世と謂える是れなり。之を上古に考うるに皇子は『みこ』と称え、皇女は『ひめみこ』と称う」と指摘している。一方、中国語発音を考慮すると、当時の中国が異民族の音を記す時、「呼」は「wo」をあらわす例があり(匈奴語の記述例など)、卑弥呼は「ピミウォ」だったのではないかとする説もある。
三世紀、倭国の大乱の中で各地の政治集団によって共立され、これらを★呪術的能力によって邪馬台国の女王として統率したが、★司祭者としての性格が強く、その王権は不安定であった。239年、魏に使いして「親魏倭王」の称号と「金印紫綬」とを賜った。
【参考】シャーマン(呪術師)
シャーマンの語源には、ツングース語で「知識や心得のある者」や、仏教用語の沙門(修行者)からきているという説があります。本来はツングース語のšaman(シャマン)。ロシア語のшаман(シャマーン)を経由し、各国語に広まった。英語ではshaman(シャマン、シャーマン、シェイマン)。シャーマンの役割は、別世界の魂や不可視の精霊の世界と接触し、その力が人間の利益となるように働きかけることである。シャーマンは、自ら意識的に脱魂し、自分を別の意識世界に移し入れることができる。つまり、魂を肉体から開放し、別の世界に送り込むことができる。厳密には、「シャーマニズム」は、「宗教」ではなく、脱魂(エクスタシー)と病気治療の諸手法の全体をいう。シャーマンの医術とは、自然についての知識(薬草など)にもとづく医術と霊的な能力にもとづく医術の混合である。
【岡本太郎】1968「原色の呪文」刊:文藝春秋社
芸術は呪術である。人間生命の根源的混沌を、最も明快な形でつき出す。人の姿を映すのに鏡があるように、精神を逆手にとって呪縛するのが芸術なのだ。人間は生きる瞬間、瞬間、自分の進んでいく道を選ぶ。そのとき、いつでも、まずいと判断するほう、危険なほうに賭けることだ。極端ないい方をすれば、己を破滅に導く、というよりは死に直面させるような方向、黒い道を選ぶのだ。貫くには、瞬間、瞬間、待ちうける膨大な障害がある。それがこちらをねじ曲げ、 挫折させ、放棄させようとする。だが、そのようなマイナスは、それと徹底的に対決することによって自分を豊かにし、純化し、深める、いわば触媒であるにすぎず、その度に己は太く、強くなるのだ。世のすべての中で最も怖しいものは己れ自身である。それ以外の何ものでもない。あらゆる真実も愚劣も,己れにおいて結局は決定されるのだ。
・・・「岡本太郎」つながりで、
【村上タカシ】
美術家/MMIX Lab代表/アート・インクルージョン理事/大学教員
熊本県八代市生まれ。★萩原英雄より版画を学ぶ。1986年より畳やお米を使ったインスタレーション作品など美術家として東京で活動を開始。国内外の展覧会やアートプロジェクトに参加。これまでの作品としては、「内から外への弧に近い運動」「GreenCircle」「ア-ツ・センタ-構想」「TANABATA列車」「村上いろは研究室」やビデオ「IZUMIWAKU Video1994」やCD-ROMの制作も行う。また、東京杉並区で1994・1996年のIZUMIWAKU project「学校美術館構想」展や「ヨーゼフ・ボイスと10年」、2003年より仙台でT.ORG「観光とアート」展など数々の学校やまちを使ったアートプロジェクトを企画実施。最近は「プロジェクト型のアートワーク」を含め芸術普及や文化・教育政策をテーマに文化施設等でレクチャーやワークショップ、アクションなども行う。
【一般社団法人MMIX Lab】 http://mmix.org/
既成の芸術の枠組みにとらわれず、各種メディアを融合させ、アートと地域文化を結び創造的芸術活動を行っています。また、市民や企業、行政等と協働で新しい公共としての社会システムを形成していくことをめざしています。
【IZUMIWAKU プロジェクト1994】
学校をアートのスペースとして利用する事例は、今ではそれほど珍しいことではなくなったが、その先駆的な活動が話題にのぼったのは、1994年の夏休みに杉並区立和泉中学校で行われた「IZUMIWAKU プロジェクト」だった。そこで教師をしていたアーティストの村上タカシの発案によるものである。2001年には新宿の旧牛込原町小学校で、セゾンアートプログラムが主催した「アートイング東京2001」が開催され、その後、あちらこちらで学校や廃校が活用される催しが増えてきた。
【IZUMIWAKU プロジェクト1996】
夏休みに杉並区立和泉中学校で開かれた現代美術展。1994の第1回展は、学校を美術館に変えたということで話題を呼び、以後、各地の小学校や幼稚園でも同様の試みが行なわれるようになった。出品作家は、岡本太郎から無名の若手まで約30人で、韓国やヨーロッパのアーティストも参加。たとえば、学生服を花柄の布地で仕立てたID BOUTIQUE、校内に大きなお世話的標語を貼りだした押川東一郎、机につっぷした生徒たちの写真に偏差値をテープで流したテオフィル・ビリシュなど、学校を意識した作品が少なくない。だが今回は、展覧会よりもワークショップやシンポジウムに力点が置かれていた。
★1996《アパート太郎》展/於:シナプス画廊
http://www.toychiro.com/old/synapsegallery.html
今回もっとも秀逸だったのは、和泉中学校の近くにあるシナプス画廊で関連企画として行なわれた★《アパート太郎》展。シナプス画廊は古いアパートの6畳間を使った「お座敷画廊」だが、そこに岡本太郎の「太陽の塔」の模型(高さ145センチ)が鎮座していた。これはこれは???もし岡本太郎が見たら、「なんだこれは!」と目をむいて喜んだに違いない。
◆「東北電力グリーンプラザ(仙台)」
980-0811宮城県仙台市青葉区一番町3-7-1/022-225-2969
東北電力グリーンプラザは、地域文化の情報発信、芸術活動の発表、交流の場としてご利用いただけます。人と人とのつながりを大切にしたコミュニケーション・スペース、グリーンプラザから潤いのある暮らしをはじめませんか。
★東北電「不審物と思われる」美術作品の一時撤去を要請
東北電力が仙台市青葉区の電力ビル内で運営するホールで、美術家で宮城教育大准教授の村上タカシさんが、福島県内の土壌や土�苦(どのう)袋を組み合わせた作品を展示しようとしたところ、ホール側から「不審物と思われる」として一時、撤去を求められたことがわかった。両者が話し合った結果、★別室に作品を移して展示することで合意。この間、会場はシャッターで閉ざされ、予定から3日遅れの10月10日に開場した。村上さんら日本とカナダのアーティスト8組が「中立の立場でエネルギーの未来を考える機会にしたい」と、「POWER TO THE PEOPLE」展を企画。被災地の電力会社施設での発信に意味があるとして、東北電力の広報・地域交流施設「グリーンプラザ」のホールを、7~19日の予定で借りていた。
・・・それにしても「岡本太郎」さんは「古くて新しい」というか、イマジネーションをかきたててくれますよね。
・・・「何だこれは」、「自由すぎる」くらいがちょうどいい。