◆交野市立教育文化会館【沿革】
昭和4年(1929)交野無尽金融株式会社の社屋として建てられる。
昭和17年(1942)近畿無尽金融株式会社の新立合併に際し、金澤泰治社長より、交野町へ庁舎として寄贈される。
昭和45年(1970)庁舎移動に伴い「交野市立教育文化会館」と改名し、文化的な活動施設として、利用される。
平成12年(2000)施設内に「民具のへや」を設ける
平成16年(2004)交野市内の歴史を紹介する「交野市歴史民俗資料展示室」を新たに開設する。
平成19年(2007)国の登録有形文化財として登録される。
当館は、歴史的な町並みの残る倉治地区の一角にあります。その重厚なたたずまいは、周辺地区のシンボル的な建物としてながく親しまれています。1階では市内で出土した考古資料・古文書史料、2階では民俗資料を展示・公開しています。石器や土器、鉄器類をはじめ、昭和レトロな民具もたくさん展示しています。
【参考】大阪府の東北部に位置し、豊かな自然と「天の川伝説」に代表される魅惑的な歴史にあふれる交野市。市東部の倉治地区は江戸時代の庄屋まちであり、今も古い町並みが残る。交野市教育文化会館は、その倉治地区のシンボル的な存在。中世ヨーロッパの城郭をモチーフにした外観で、覆い茂った木の上に見えるパラペットは、さながら泥棒から屋敷を守る見張り台のようだ。同館は、1929(昭和4)年に近畿大阪銀行の前身である交野無尽金融の社屋として建てられた。その後、42年の新設合併に際し、当時の社長の金澤泰治氏により交野町へ寄贈。町役場や図書室として活用された後、70年の庁舎移動に伴って同館になり、2007年に国の登録有形文化財に登録された。現在は、1階展示室に交野市内から出土した考古資料や古文書を常設展示。2階には市民から寄贈された農耕具や民具が展示されている。また、2階の和室では河内木綿の伝承教室が開かれている。一番の特徴は北東隅にある3層の棟。建設された昭和初期にはよく見られたデザインで、屋上部分には西洋の城郭などに見られる壁を立ち上げる形のパラペット構造を用い、外壁はくぎで引っかいた先刻模様のスクラッチタイルがはめ込まれている。内部は、町役場や図書室だった当時に、暖流を確保するために天井を低くするなど改良工事が行われてきたが、2階の一部天井は建設当時のままの高さで装飾も残されている。築81年。迷路のような小道が入り組む倉治地区に今も静かに立っている。大きな窓から晩秋の日が差し込む廊下には、市民から寄贈されたオルガンや三輪車が飾ることなくポツンと置かれているのも、ノスタルジーな気分を誘った。(2010大阪日日新聞より)
・・・寄り道、「成田さん」にお参りをしてきました。
◆成田山大阪別院・明王院(成田山不動尊)
572-0005寝屋川市成田西町10-1/072-833-8881
http://www.osaka-naritasan.or.jp/
千葉県の成田山新勝寺の大阪別院。この地が大阪の鬼門に相当するため、鬼門除けとして信仰されている。当別院の創建は、大本山成田山新勝寺の大篤信だった田辺真弘氏が願い出て、1934年にご本尊不動明王のご分霊を勧請し誕生した。交通安全祈願も行い、人車一体の祈願を行った最初の寺院としても知られている。今は年間20万台のご祈祷車と200万人を越す参拝者が訪れる。
★「笑魂塚」
成田山不動尊の本堂に向かう石段の手前左側に大きな自然石の碑があります。碑面には「笑魂塚」と彫られています。昭和34年(1959)に関西演芸協会の創立10周年記念事業として建立されました。本山である千葉県成田山新勝寺は、演芸と深いつながりをもっていますが、ここ大阪別院もやはり関西の演芸関係者に信仰が厚いようです。毎年、節分の豆まきなどにも有名芸能人がたくさん招かれます。塚に向かって右の磨き石に市内唯一の川柳句碑があります。「ハリキリの大阪弁が立てた旗」水府
※寝屋川市のマスコットキャラクター「はちかづきちゃん」
・・・早速ご利益が、昼食をした喫茶店で「カエル」ちゃんを見つけ、帰り道には「赤丸ポスト」まで発見しました。これだから「寄り道」はやめられません。