郷土ミュージアム(33) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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◆25【摂津市役所】◆

566-8555摂津市三島1-1-1/06-6383-1111

http://www.city.settsu.osaka.jp/soshiki/1-72-0-0-0_7.html


せつ1


昔なつかしの農具・民具展示会/於:摂津市役所

平成24年10月15日(月)~10月26日(金)

http://www.city.settsu.osaka.jp/0000006111.html

明和池遺跡出土遺物展示会/於:摂津市役所

平成24年月4日(月)~月15日(金)

http://www.city.settsu.osaka.jp/0000006110.html

566-8555摂津市三島1-1-1/06-6383-1111

摂津市では千里丘7丁目地先にある明和池遺跡の発掘調査が行われ、地面を掘り下げ過去の生活の痕跡を探るもので、調査では大昔の摂津市の様子をうかがわせる遺物が出土しました。摂津市役所の後は、6月18日(月)~7月1日(日)まで摂津市立コミュニティプラザで開催平成23年度の明和池遺跡の発掘調査で見つかった遺物を中心に展示いたしました。明和池遺跡は摂津市の千里丘7丁目地先にある遺跡です。遺跡の北側には山田川、南側には正雀川が流れ、市内でも標高の高い扇状地内に位置します。明和池遺跡は明和年間(1764~1771年)に掘られた明和池という溜池が名前の由来で、昭和8年の工事の際、池の底から古墳時代の須恵器が発見され知られるようになりました。


せつ2


・・・摂津では市役所をフル活用、絵画も多く展示されています。

せつ3


◆「さわやか広場とりかい

566-0071摂津市鳥飼下1-7-4072-638-0007(社会福祉協議会)

http://www.city.settsu.osaka.jp/0000006416.html

平成25年4月13日、鳥飼小学校隣の旧教育研究所を改装し、市内ヶ所目となる地域福祉活動拠点「さわやか広場とりかい」が開所いたしました。さわやか広場とりかいの建物は、昭和11年に建設された旧鳥飼村役場を改装したもので、地域の皆様になじみ深い場所でもあります。さわやか広場とりかいでは、高齢者を対象とした「ふれあいいきいきサロン」「ふれあいリハサロン」および乳幼児を対象にした「子育てサロン」を定期的に開催するなど、様々な世代の人が集う場所となればと考えております。建物の前には実正樋と呼ばれる樋門石が置かれています。実正樋は、鳥飼上一丁目にあった非常に古い樋門で、16世紀中頃には存在が確認されており、淀川の水を農業用水として利用するうえで欠かせないものでした。建物の横には旧教育研究所別館と呼ばれる★文化財収蔵庫があります。この収蔵庫には遺跡の発掘調査により発見された遺物や、民具や農具などの文化財が保管されています。


鳥(養)飼の渡し跡

http://www.city.settsu.osaka.jp/0000001062.html

市内には「鳥飼上の渡し」「五久の渡し」「鳥飼の渡し」「願正寺渡し」「一津屋の渡し」などの渡し場があり、地域の人達によく利用され、親しまれた。古くは慶長十九年(1614)片桐且元が、大坂冬の陣を前に家臣とともに大阪城を退き茨木城(茨木市)に入った時、この「鳥養の渡し」を利用したと伝えられる。その後、幕藩体制の中で許可制となった。それまで民間で運営されていたが、昭和八年(1933)に大坂府営(無料)で利用されるようになった。そして昭和二十九年(1954)に鳥飼大橋が完成したが、この渡しは昭和五十年(1975)淀川改修工事まで存続し、淀川本流最後の渡しは運航を停止した。平成十九年四月

千本つきの碑

千本つきには調子がござる足と手と口三拍子

『千本つき古代から淀川はしばしば洪水に襲われ、明治十八年の洪水を契機として本格的な堤防工事が開始された。沿岸の農民たちは労働者として河川工事に参加し、主に男はトロッコ押し、女は千本つきといった作業をうけおった。千本つきというのは、一種の地固め作業で長さ一メートル半ぐらいの杵をもって土砂をおいたばかりの堤防の上に並び、杵をあげおろしして土をつき固めていく仕事であった。その仕事は単調であったが、村ぐるみの農民参加による集団労働でありいつの間にかすたれていく千本つきの歌声が堤防工事開始と共に、再びよみがえったのである。』


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◆藤森神社

566-0072摂津市鳥飼西2-1-1072-654-5767

当地は淀川の河畔に在るため、古来より度々水害を蒙り、記録資料等大半が流失した為、鎮座年代は不詳ですが、地理的又は伝説等によれば、元は宇多天皇(在位887年897年)の離宮(鳥養院)の所在地であった大字上鳥飼にその当時から小祠が鎮斎されており、その地より水流によって現在の地(大字鳥飼西)に流れ着き鎮座致されたものであると考察されます。現神社の形態が出来たのは天正五年(1577)とあり、本殿は寛文四年(1664)の建立であります。主祭神に崇道尽敬皇帝(舎人親王)、菅原道真公の二柱を祭祀しており、二柱共学問の神様であります。

一の鳥居が大阪府摂津市鳥飼下3丁目の淀川堤防北岸下に立っています。


せつ5


◆淀川河川公園「鳥飼サービスセンター」/072-654-9800

http://www2.kasen.or.jp/index.html

シャワー室・更衣室・ロッカー・身体障害者用シャワー室・自販機月曜日が祝日及び振替休日の時は休館になります。


・・・摂津市は、「淀川」と密接な関係にあります。