郷土ミュージアム(18) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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◆11【枚方市・旧田中家鋳物民俗資料館】◆

573-0155枚方市藤阪天神町5-1/072-858-4665

http://www.city.hirakata.osaka.jp/site/kyoiku/tanakake.html


ひら1


田中家は、古くから、河内国茨田郡枚方村(現在の枚方市枚方上之町)で鋳物業を営んだ家です。江戸時代の鋳物師は、公家の真継家の支配下にあり、田中家は北河内で唯一、正式に営業を許可された鋳物師でした。さらに、真継家から「河内国左右惣官鋳物師」に任ぜられ、河内の鋳物師を統率する営業規模の大きい由緒ある鋳物師として認められていました。田中家は、江戸時代を通じて、近隣の人々が日常生活に使う鍋・釜や農具のほか、寺院の梵鐘なども鋳造しました。明治以降、日本各地に近代的な工場がつくられてからも、伝統技術を守って営業を続けましたが、1965年頃に廃業しました。枚方市では、大阪府指定有形文化財である鋳物工場と主屋の寄贈を受け、貴重な文化遺産である両建物を移築・復元し、全国でも珍しい鋳造関係の専門資料館として整備しました。


ひら2


枚方宿鍵屋資料館

573-0057枚方市堤町10-27072-843-5128

http://kagiya.hirakata-kanko.org/


ひら3


鍵屋は、伏見と大坂を結ぶ三十石船の船宿として江戸時代に賑い、近年まで料亭を営んでいました。平成9年、市の文化財に指定された鍵屋主屋は、極めて少なくなった江戸時代の様式を残す歴史的建造物で、寄贈を受けた市が修復を行い、平成13年7月3日に「市立枚方宿鍵屋資料館」としてオープンしました。なお、鍵屋の敷地は平成10年に市の史跡に指定されています。


ひら4


江戸時代の枚方は、東海道の延長部“京街道”の宿場町でした。また、伏見と大坂を結ぶ淀川舟運の中継港でもありました。旧枚方宿の町並みは、平成7年(1995)に枚方市の歴史街道モデル事業地域に指定されており、「市立枚方宿鍵屋資料館」は町並みのメインスポットとして平成13年(2001)7月に開館しました。水陸交通の要衝地として栄えた「枚方宿」の歴史を紹介する唯一の展示施設となっています。当資料館は、平成9年(1997)まで料理旅館であった「鍵屋」の建物を利用しています。京街道に面していた「鍵屋」は、江戸時代には宿屋を営み、また、幕末頃になると淀川 三十石船の「船待ち宿」としても繁盛しました。近代以降は、枚方きっての料理旅館として、枚方周辺の人々に宴席の場を提供してきました。敷地内には、枚方市指定有形文化財の「主屋」と「別棟」の2つの建物があります。19世紀初頭の町家建築の構造を残した「主屋」は、無料スペースとして公開しています。一方、「別棟」は昭和初期に改築された建物で、1階部分に枚方宿関係の史資料や発掘遺物、民俗資料、模型を展示しています。枚方宿の歴史を学べる展示施設であるだけでなく、歴史的建造物の中で往時の旅の雰囲気を体感し、また彫刻欄間や格天井など、料亭だった頃のしつらえを楽しむことができます。別棟2階の大広間では、歴史講座や伝統芸能の公演、ものづくり教室などの様々なイベントを開催しています。また、毎月第2日曜日に「ごんぼ汁」「くらわんか鮨」など、枚方にちなんだ料理を召し上がっていただける「大広間茶屋」があります。京都と大坂を往来した旅人の饗応の場でもあった枚方宿と鍵屋。当資料館は「もてなしの文化」を継承する拠点として、これからも様々な企画展示・イベントを企画していきます。


ひら5


当館の前身であった料理旅館「鍵屋」は、その創業を天正年間と伝えていました。しかし、これは定かではありません。史料の上では、安永2年(1773)、高槻柱本「くらわんか舟」の株仲間と枚方餅売り商人の間で起きた争論の際、作成された「御済配書写」の中に、鍵屋当主とみられる「鍵屋太兵衛」の名前が確認されます。江戸時代後期の鍵屋は、商人宿として記録され、比較的安価な宿屋でした。しかし、幕末には江戸町奉行方なども訪れており、格式の高い旅館に成長したと考えられます。江戸時代の淀川は、枚方側に食い込むように流れており、鍵屋が立地する堤町のあたりでも、屋敷のすぐ裏手が淀川河岸に面していました。そのため、この立地を生かし、淀川を往来する乗合船の“船待ち”を兼ねた宿屋が現れたようです。