郷土ミュージアム(13) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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◆8【高槻市立歴史民俗資料館】◆

569-0075高槻市城内町3-10城跡公園内072-673-6446

http://www.city.takatsuki.osaka.jp/rekishi_kanko/rekishi/rekishikan/shisetsu/1327318700775.html


たか1


白壁と本瓦葺きが印象的な歴史民俗資料館は、江戸時代中頃、城下の紺屋町に建てられていた商家「旧笹井家住宅」を移築復元したものです。しろあと歴史館の分館としてふるさとの暮らしや生業を語る生活用具、農具・漁具などの民俗文化財を保存、展示しています。建物は市の有形文化財に指定されています。

・・・ここにも「赤丸ポスト」がありました。


たか2


◆高槻城址(城跡公園)

高槻城は戦国時代以前から歴史に登場。時には全国にその名を轟かせましたが、明治時代の初めに城は取り壊され、城下町も時代の流れによって大きく変わりました。キリシタン大名高山右近の像や八丁松原、高槻城を支えた石組みがあります。


たか3


8-2高槻市立しろあと歴史館

569-0075高槻市城内町1-7/072-673-3987

http://www.city.takatsuki.osaka.jp/rekishi_kanko/rekishi/rekishikan/shiroato/index.html

高槻城三の丸跡の一画に建つ高槻市立しろあと歴史館。江戸時代の高槻を、資料や映像、模型などで楽しく紹介するとともに、市内に眠る文化財の収集や保存、調査研究も行っています。城下町たかつきの新たな魅力を、きっと発見できるでしょう。


たか4


【参考】槻の木高等学校(高槻城跡)

http://www.pref.osaka.lg.jp/bunkazaihogo/maibun/takatsukijyou.html

慶安2年(1649)永井直清が城主となると、外曲輪が増設され高槻藩3万6千石の城下町が完成しました。以後、高槻城は、永井氏13代の居城となりましたが、明治4(1871)年、廃藩置県により廃城となりました。

明治7年(1874)京都から大阪間の鉄道建設用に高槻城石垣が、工部省によって取り崩されました。

明治42年(1909)高槻城跡地に陸軍第四師団工兵第四大隊の兵営が設置されました。

昭和22年(1947)工兵第四連隊の跡地に高槻市立中学校・教育研究所・母子寮が設置されました。

昭和26年(1951)旧本丸跡に府立島上高等学校が設置されました。

平成15年(2003)島上高等学校は府立高槻南高等学校と統合され、府立槻の木高等学校が設置されました。


たか5


◆「高槻市立今城塚古代歴史館

569-1136高槻市郡家新町48-8072-682-0820

http://www.city.takatsuki.osaka.jp/kakuka/kyoikukanribu/bunkazai/gyomuannai/rekishikan/daio/kodairekishikan/index.html

今城塚古墳公園に隣接する館内には、三島古墳群の概要をはじめ今城塚古墳の発掘調査で判明した、古墳づくりのさまざまな工夫を実物大のジオラマ模型や映像も用いながら解説しています。実物の埴輪や豊富な出土品を通じて歴史遺産ネットワークの拠点としてさまざまな情報を発信する、歴史体験と学習の場です。