大阪城 | すくらんぶるアートヴィレッジ

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大阪城(9)



大手門

城の正面玄関のこと。「追」手門と書かれることもある。ちなみに裏口は搦手(からめて)と呼ばれ、大阪城の場合は大手門以外の玉造、青屋、京橋の三門は搦手口となる。この門は寛永五年(1628)年、徳川幕府による大坂城再建時に創建され、天明三年(1783)、落雷により多聞櫓が焼失した際にも類焼を免れた貴重な建造物であり、現在は大手門を取り囲む土塀二棟とともに重要文化財の指定を受けている。正面玄関にしては一見簡素に見えるが近づいてじっくり見れば、やはり鉄板張りの重厚な建造物である。高麗門形式「門扉の上の屋根以外に、左右の控え柱の上にも屋根がある門。城郭の門に多い」(広辞苑より)大阪城に現存する大手門、本丸・桜門ともにこの形式が取られている。大手門で必見なのは南控え柱の柱継ぎ部分。東西面(手前)は「蟻継ぎ」、南北面は山型と谷型の切り口を合わせた「殺ぎ継ぎ」といわれるもので上下方面に合わせることは一見不可能に思えるが昭和58年(1983)にX線撮影によって構造は解明されている。この柱継は柱の下部分の腐食が進んだため、大正十二年(1923)に南控え柱を補強するため施されたもので、田中建設株式会社(当時「石浜組」)の創業者・石浜太郎平さんの手による物であることも判明している。また、屋根瓦には徳川幕府の城として再建されたことを示す「葵の御紋」が使われています



すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-もん1


田中建設株式会社HPより

大阪城大手門の控え柱には、柱の根元を継いだ補修の跡が残ります。東西両面は下の柱が凸型の「蟻継ぎ」、南北両面(写真参照)は山型の「殺ぎ継ぎ」になっています。外から見ると、どの方向からもはめ込むことができないような不思議な形の継手になっています。長年大阪城の謎のひとつとされてきましたが、1983年にX線撮影により内部構造が明らかになり、継手の謎が解明されました。この時、施工した大工の社名と氏名が残されていることも判明し、弊社の前身である石濱組の請け負った工事であることが解ったのです。石濱組の創業者、石濱太郎平は、鳴門海峡の潮流を利用した発電システムを考案したり、コンクリート製枕木を考案して国鉄にも採用されるなど、非常に進取の精神に富んだ創造力あふれる人物でした。この柱継手は、そんな匠の技の一つなのです。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-もん4

城内から外へ出ます。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-もん2


まず目立つのが・・・


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遠藤秀平コルゲート鋼板を使っての斬新な設計を行う建築家です。


Halftecture大阪城大手前

大阪城公園内につくられた公衆トイレです。公園内にここ以外にもあとつのトイレ等の休憩施設を遠藤さんが設計されていますが、今回は確認できませんでした。両端を三角にした一枚の鋼板を屋根としていて自重でたわんでいるのが外観の特徴にもなっています。そして鋼板によって出来た空間に白い箱を置き、トイレしています。石垣の上建てられていて、大阪城とマッチしています。

Halftecture大阪城城南

「Halftecture大阪城大手前」と似たデザインですが、前者は鋼板をねじった構造でしたが、こちらは折り曲げて作られています。両端三角もありません。トイレ横に小さな売店もつくられています。鋼板の薄い屋根を持つ円筒型の建物です。

Halftecture大阪城レストハウス

トイレとレストハウスです。薄い鋼板の屋根を三本ずつ束にした細い柱で持ち上げてその下にトイレスペースと喫茶室を設けています。中央は屋根をオープンにした円形広場とし三方向からアプローチできるようになっています。円形を組み合わせたゲートのデザインが素敵です。


・・・実は、遠藤さんの建物が、私の自宅(羽曳野市)すぐ近くにあるのです。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-もん5


森の10居

6戸のR(Radius)棟と4戸のS(Straight)棟による10戸で構成される集合住宅です。R棟はコルゲート鋼板をアーチ状にしたものが少しずつずらしながら建てられています。S棟は各住戸にテラス設け、大きな窓で仕切内部を広く感じさせるとともに、開放することで一体的な利用が可能となっています。二つの棟の間に路地空間があります。