高野街道(68) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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高野街道(68)


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次は・・・三日市をめざします。


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三日市宿

西高野街道の起点である、堺の大小路より6里(約24km)の所に在ります。この地には、大和や和泉への街道も通じており、かっては、高野参詣だけで無く、西国三十三箇所巡礼や、葛城・吉野・大峰などの修験道を廻る人たちも利用し、又、紀北地方や大和南部の物資も、ここを経由して運ばれていました。古くから栄えてきた三日市宿でしたが、大正4年(1915年)高野登山鉄道が、橋本まで開通した事により、宿場としての機能は寂れて行きました。平成12年から始まった、周辺整備事業により、平成17年夏、商業施設も含めた、公共・公益施設で在る。駅前再開発ビル、フォレスト三日市が完成し、古い宿場町の風景は一変しました。しかし、この際開発ビル建設に伴う事前の発掘調査により、この地から、約2000年前の、弥生時代の集落跡が発掘されました。そして、この場所には、円形の竪穴式の住居跡31棟が確認され、未確認の物を含めると、40棟を越すとされ、この時代としては、かなり大きな村が存在していた事が判明しました。この発見前までは、河内長野市内には、弥生時代の大集落は存在しないとされていただけに、大きな驚きを持って迎えられました。更に出土した土器の半数近くは、東大阪の鬼虎川遺跡付近で造られていたと確認できる物でした。これにより、すでに、後の時代の、東高野街道のルートを通っての交易が、行われて居た事が想像できます。又、この遺跡の上層の部分からは、江戸時代の宿場跡を裏付ける物も、数多く出土しました。陶器類・暗渠の跡・造園された旅籠の庭の池、更には、トイレの跡の木桶、などが発掘されています。これらの事から、この三日市宿が、いかに高野街道と共に栄え、歴史的役割を果たして来た事を偲ばせる存在で在ったといえます。


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三日市宿高札

本高札は、親子・博奕・忠孝等定高札と人馬賃定高札の二面である。二枚のいずれも材質が欅(けやき)材であり、形状も横長形の五角形である。また、両面とも正徳元年(一七一一)五月の年号が書かれている。親子・博奕・忠孝等定高札の内容は当時の道徳倫理が書かれている。市内で確認されている三十九点の高・制札のうち道徳倫理の内容が書かれているものが六点あるがいずれも簡素なもので、本高札のみが九条にわたって細部に制している。年代は人馬賃定高札と同じく二番目に古く、大きさは当市最大のものである。人馬賃定高札は、時の幕府の道中奉行から布告された「三日市宿駅往還御用の定」であり、宿駅での駄賃や人足の持つ荷物の規格、そして宿駅の大名や旅人への対応についての定めが書かれている。高札は道中奉行が交代するごとに、奉行名を書くところのみ削られ書き換えられたとみえて、板が薄くなっている。この高札が使用された最後の奉行とみられる「大隅、伊勢」の名が残っている。当時、江戸幕府から各街道の駅に布告したものと同一内容のものと思われる。市内では三十九点の高・制札が確認されているが、人馬賃についてのものは唯一であり、年代は天和二年(一六八二)に次ぐものである。また大きさは二番目に大きなものである。三日市の宿駅は、高野街道の河内側最後の宿駅であり、また五條から吉野山や大峰山への分岐点でもあったことから旅人で賑わっていたようであり、このような場所に幕府の布告などを知らしめるために高札が掲げられたと考えられる。人馬賃定高札は、当時の三日市宿が宿場町として繁栄していたことの歴史的傍証資料として、また親子・博奕・忠孝等定高札は当時の社会通念を窺うことのできる貴重な資料である。


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旧三日市交番

旧三日市交番は、昭和27年に建築され、平成19年に三日市交番が三日市町駅前へ移転するまで、地域の治安を守ってきました。木造駐在所の形態を今日に伝える貴重な遺産であり、かつての宿場町の雰囲気を残す周囲の景観によく馴染んでいることから、平成22年10月7日に河内長野市の指定文化財となりました。河内長野市教育委員会は平成23年6月からこの建物の保存修理を行い、当時の姿を再現しました。修理の完了した平成24年8月、旧三日市交番は歴史・文化の情報発信の拠点としてオープンしました。施設の運営は、三日市小学校区連合町会と市が協働で行い、高野街道三日市宿として栄えた地域の歴史と文化について情報を発信しています。


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真教寺

旧三日市交番横の道を入ると、浄土真宗本願寺派の真教寺です。境内はあまり広くありませんが、とても掃除が行き届い美しいお寺です。桜の木の脇に浄土真宗の開祖親鸞や蓮如の銅像が建てられています。