たとえば

白鳥のような美しさがあり

孔雀のような華やかさがあり

カルガモのような愛らしさがあり

スズメのような可愛らしさがあり



彼らは何の疑いもなく生まれた瞬間から
その生を生き、そして全うしている




人とはどうやら比べてしまう
比較をする生きもののようだね


いつの頃からだろう
もの心がついてから、小学校に上がった時


それとも生まれた瞬間からかな


子から見た親、子供と大人の違いから




僕は会社勤めをしていてね


その会社はそこそこの会社で、40過ぎから
中途入社、能力と言うよりも人の縁だった


卑下ではなくてね、入社から数年間
仕事に着いて行けなけなかった


出来る上司、同僚、後輩たちと比較をして
自分の能力の無さに嘆き自分を責めた


親や育った家庭環境も恨んだ
何のために生まれて来たんだろうって


苦しい状況から40過ぎて縁を貰って
やっとの転職、家族のこと、失敗できない


でも着いて行けず自分をどんどん追い込み
心が折れる寸前で心の学びに救われた





いまだから言える


僕は心が折れる寸前まで
自分に関わる周りの人達に噓を付いていた
そして自分にもね


出来ない自分がバレないよう誤魔化したり
取り繕ったりしてたんだ


周りの出来る人と比較して
劣っていない自分を一生懸命作ろうとした


ここでダメだったら全てが終わると思って
苦しかった




比較から劣等感を感じて、それをバネに
乗り越えて行こうとする事も大事だと思う


ただ白鳥は白鳥らしく、孔雀は孔雀らしく

カルガモはカルガモらしく

スズメはスズメらしく



その物事に取り組めば良いと思う



そして苦しいのが続くようであれば
止めてもいい、逃げてもいい、も忘れずに




その後、僕は
全く比較しなくなった訳ではないんだけど


正直に僕は出来ない人間ですと
のび太は、のび太らしく過ごせている


出木杉君と比較して
出来ない自分がバレないように
誤魔化したり、取り繕ったりして
必死に隠そうとしてたことは無駄だった


どんなに隠そうと僕が、のび太キャラだって
周りの人たちは最初から知っていた(笑)


とても楽になった




比較して頑張るのもいい

比べて努力するのもいい


ただ元々持っている自分の素晴らしさは

忘れないでね




まなぶ