【東 京】④東京は根岸の里の正岡子規さん家に行ってきた。 | もも日記

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桃色のヒコーキで日本全国、そしてアジアへ

JR鶯谷駅にやって来ました。








ウグイスと梅。

ホーホケキョ。

西川のりおでございます。









山手線でたぶん一番、胡散臭い駅。

鶯谷駅。

改札口を出たらそこは・・

大人の男と女の為の歓楽街。







前に行ったNHK 「ドキュメント72時間」に登場した24時間営業の店「信濃屋」

今日はここに来たのではありません。






今回の目的地は、俳人の正岡子規さんのお宅なのです。

野球殿堂博物館でも正岡子規さんの写真を見た。

なんか今回の上京は正岡さんに呼ばれてる気がする!

以前に放送されたNHKのスペシャルドラマ「坂の上の雲」を観てから、全国各地に登場人物の縁の地を訪れているのですが、

今回は行ってみたかった正岡子規、ノボさんの東京のお家に訪れてみました。



正岡子規さんは伊予の国は松山生まれの明治時代の俳人。

1867年 慶応3年生まれ。

幼名は升(のぼる)

本名は常規(つねのり)

俳名は子規。

子規とはホトトギスの事なのです。

野球をベースボールって名付けたのって正岡さんだよね?

自分のノボルって名前からノボール→野ボール→野球って名付けたとか。

当ってるのか?

詳しくはWikiみてね。





JR鶯谷駅から徒歩3分。

真っ昼間のラブホ街を抜けると、

ありました!

東京は根岸の里にある正岡さん家。


















正岡さん家は当時と同じ場所に、今は子規庵として残ってるいるのです。









明治の25年にここ根岸の里に越してきたんですね。









子規亡き後も母と妹が住み続けたこの家。

大正の関東大震災も耐えたけど、

東京大空襲では焼けちゃったそうな。

現在の家は昭和26年に再建されたもの。

昭和の懐かしい佇まいです。







では、お邪魔しまーす。

残念ながら屋内は写真撮影禁止。




玄関に入るとすぐ日本間があり、その向こうの縁側から庭が見えました。



なんとも心落ち着く空間・・



子規はこの家に故郷松山から母と妹・律を呼び寄せ、35歳の若さで結核で亡くなるまで、晩年をこの家で過ごしました。

結核から脊椎カリエスも発症し、その療養生活は大変苦しいものだったそうです。

しかし子規は病床からも作品を発表し続けたのです。

子規を慕う人、友がこの家にはよく集まってきたそうな。









庭にはヘチマが植えられていました。

結核の痰切り薬としてヘチマの水が当時は使われていたそうです。







この時期、ヘチマは見事に枯れていました。(笑)










庭から子規の部屋を見る。

六畳間の病床兼書斎。

喧騒の東京なのに、ここはなんとも心落ち着く場所でした。

9月~10月頃は庭のヘチマも青々と実を実らせるそうです。

次回はその頃にまた訪れたいなと思いました。



つづく。