実は、少し前から今まで勤めてきたIT関連ではなく、全く異なる業種のお仕事に従事するようになって、業務の内容を色々と教えてもらっている時に気がついたことがあったので、それについて書いておこうと思う。
教えてもらっている内容自体は特に難しいということではないのですが...
業務の内容を教えてもらう時って、時折、他愛もない会話(世間話とか)も混ざったりしますよね。
そんなもんだから、自分がやるべき作業とそうでない作業とを、どうやら無意識にフィルタリングしていたようで。
気がついたのは...
例えば、
「〇〇してください」は、自分がやるべき作業。
「〇〇するんですよ」は、自分がやる必要のない作業。
という具合で、
自分の場合は、「〇〇してください」「〇〇してほしいです」と言われた時は、これは自分の作業なんだな、となるのだけど、
「〇〇するんですよ」は、その人がやる作業を説明してくれてるんだと思っていたようで。
で、その事に気づいたのは数日後にその「〇〇するんですよ」と話していた内容について、「前に教えましたよね?」と言われて、『あっ、あれ自分がやる作業だったんだ!』(心の声)となって一瞬目が点になったのが自分でもわかりました。
昔の自分なら、きっと、「そんな事にも気が付かないなんて、自分は何やってるんだろう。きちんとやらないとダメだろう!」
と自分を責めたと思います。
でも、不思議と今回は受け止め方が違ってました。
冷静に、どうして自分の作業じゃないと思ったのかな?と帰宅の車内で考えていたら、その時の会話の内容が鮮明に思い出すことができて、上で書いたように言葉でフィルタリングしてたんだ!とすぐに気がつきました。
そして、思ったのは「ウケる」でした。
そういう対応をしている自分を知れたことが良かったし、面白いなと感じました。
で、次に思ったのは、
「自分って、そういうところあるんだな」
「これって、自分だけじゃないかも?」
っていう感じで、自分を責めることはなく、なんなら、それを教えてくれた人にも、
自分がそういう人だっていうことが伝わって良かったのでは?
そういう受け取り方をする人がいるから、伝え方も大事だなと思ってもらえたのでは?(もしかしたらですけど...)
といったぐあいで、自分を責めることなく、お互いにとって良かったんだろうなぁと感じていました。
そして、この時、二人以上の人の間で起こった出来事って、自分にとってだけではなく、相手にとっても意味のあることが起きているんだろうな、とも感じたのです。
さらに自分なりに腑に落ちたのは、
ダメな自分っていないんだな、ということ。
そして、自分ってそういうところがあるな、と気づく(認める)だけで良いんだな、ということ。
とりあえず、気づくことで、次に同じことが起きた時にうまく対処できる可能性が高くなりそうだし、
また同じ反応をするようなら、その時に改めて気がついてあげて、それでもうまく対処できないなら、自分はそういう人なんだと認めてあげれば良いよね。
おまけに、ここまでくれば、周りの人もあなたをそういう人だと分かってくれているだろうし。
自分に優しく接してあげるようになると、不思議と周りもあなたに優しく接してくれるようになるし、あなたも他人に優しくできるようになる。
それにしても、この世界ってよく出来てる。
最後まで、読んでいただきありがとうございます。