屋号 HImaP&Σ 渡部学(ワタナベマナブ)。
2024年、8月10日(土)、日本時間、AM8:28、曇りと雨、北海道紋別市。

自分自身の言動だけど、思考の中に善良な味方がいる。

わかったことが自分自身の言動で自分自身気が付いた。

善良な心理思考で精神力が強く、権力や勢力も強くあらねば世の中ならないって言葉がそもそも答えだった。

そういうことなんだ。

渡部学は幾度となく、盲目のような感覚で未知の領域と関わり、性格や人格が悪質というか、自分自身とは真逆や口論や争う人格や性格と真正面から対立することでさ。

うんざりはしてた。母や兄の肉体を介して関わる人格や性格でのそういう渡部学と真逆な人格や性格との敵対関係とか、姿を化けた人達とか。

まだ渡部学のは軽めの抗争だろう。本当に会話程度の軽めのもの。

人格や性格の核ってのはどちらかが消滅しなければなくならないもの。

心理思考ではどちらかが消滅しても、嫌悪感や怒りはその同系統ものにずっと持ち続けるけど。
関わることがないなら思考からその間は快適に過ごせる。

でも、関わるなら、弱い人間は心が病んでも避ける、逃げる方法がないし、自殺とか?自分自身の消滅を選ばない限りは対立とは消えないもの。

自分自身が正義であり、自分自身が正しいと思って戦い続ける精神力がないとならないんだ。

それに気づいた。

そういうことなんだ。生き続けてる間はね。

そして、必ず味方は居るし、味方との連携なんだ。

必ず同じ志の人間がいる。その戦いなんだ。

人格や性格の勢力の戦いってのはそういう抗争なんだ。

永遠に続くものだからこそ、悪質な人格や性格と戦い続ける精神力が必須なんだ。

自分自身で気が付いた。もう俺はその土台に入る。

だから流れに身を任せてはいるが、それも全て必然だし、全てなるようにしかならない。

渡部学は自分自身を先導する意思は、世の中の一番強く正しい指針の人格や性格の永遠に生きる神様みたいな勢力の一部も信じよう。

うんざりする時もあるさ。そういう対立者達と関わり続けるってさ。

口論だけでもかなり精神力を強いる。

だけど、わかった。自分自身と支えてくれる人達を信じて強くなければならない。

へこたれてはならない。疲れる時はあってもね。

生きてる間は対立者との抗争は口論であっても絶えずにあっても、戦い続けることなんだな。

避けても、逃げてもいいけどさ。時には(笑)

結局、合わない人格や性格とは合わないままなんだ。考え方も思考も感情もお互い気に障るし、嫌気があるし、自分自身が悪いなんて認めたくはない。

そんな譲歩すら浮かばない人達が本当の敵対者なんだから。

見える姿だけで判断しなくなった渡部学には、関わる人のその人格や性格の核の部分だけ嗅ぎ分けれればいいだけ。

社会復帰できない?社会不適合者?常套じゃねーか。

味方がそうするなら信じるまで。味方が一番強いから自分自身は今そうなってると思えば、不満は言うが不幸も幸運も全ては味方のためと思えばいいだけ。

そういうことなんだな。

わかりやすい答えだな。