HImaP&Σ 創始者、啓蒙活動家、渡部学(ワタナベマナブ)。
2024年7月2日(火)日本時間、PM2:57、晴れの日。

今、母と二人暮らしだが。
この間、母が父の死ぬ前に看病で泊まりがけだった時に、トイレ掃除をした。

だが、その時知った、トイレの隠れた溝の汚れの酷さ。

母は掃除してるといつもいう。だが、掃除してる姿はたまに見てたけど、どうやって掃除してるか?隅々まで行き届いた掃除してるのか?知らなかった。

そのずさんな状態を初めて知って危機感を出した渡部学。

未知の領域を知ってもわからないことはある。だけど、見抜けないけど、母は居て、兄達もたまに帰郷する。

その中で、母の人格や性格が本来と変わってしまってあまり良くない状態になっていれば。

やっぱりこうなってしまう。

だけど、言えば、この家にもう俺しかいないとなるし、言えば、留守中はなりすましが家の中を過ごしてるとしたら防犯も何もありはしない。無法地帯。

でも、見張り役だと思ってる。自分自身も、家も見張り役がいると思うと考え方が整ってくる。

何もかも母任せだった。家のこと。家の維持費には触れさせてくれないが、経済的じゃなく、家の清掃は水回りの特にトイレと風呂は自分自身でも快適に使えるよう配慮して自分自身のために掃除することを意識し出した。

やっぱり、なりすましの母か?本物の母か?なんてのは見抜けない。

だが、自分自身でやれるところはやらないとヤバいと知ったのが父が死ぬ前に、母が病院泊まりがけに居なくなった時にその状態のずさんさに初めて気付いた。

口では掃除してるという。でも掃除してるところをあまり見ない。さらに、毎日は掃除しないからって理由も一理わかるとして。実はなんにもしてないのでは?

でも、見える洗面所や風呂場、キッチンはいつもとても綺麗にしてる。

が、賞味期限のずさんな食材管理、冷蔵庫のぐちゃぐちゃな収納。

でも、そこは母の領域であり、口を挟んだりあまり渡部学が口を挟み、介入すると口喧嘩になる。

だから見てみぬフリしてるけど、やはり歳を重ねてか?人格や性格の遺伝してる別の人間のダメさか?

結構、管理は悪い。人のこと言えないけど。人のことはよく見える。

確かに、母に見えているものの、未知の領域を知る限り、見た目だけではその人を特定して見ることが無理だし、見抜ける能力はない。

だから、善良で心地よく過ごせて、掃除や清掃の行き届く、家事や炊事の抜群で何も不満のないような性格の人が母になってたり、その逆の人格や性格では、悪い状態では、母には苛つきや口喧嘩さえ増える。

この家というか、渡部学がもうそういう風にしか本当の母とか、兄も、肉親と思う半分、他人だとして見てる。

愛のない他人が家をどうどうと好き勝手に使ってると感じる時もある。

そういう風に見てしまうときとその時の母や兄の人格や性格の時、それが本来誰の人格や性格なのか?正体は知らず、わからず。不満と不快だけがある人物も少なくない。

全体的に幸せで、善良な心地よい状態と人とが人格や性格も含めて多くあるので、結果的に幸せではあるのは確か。

だが、無法地帯気味を防げないし、口では母は掃除してるよって言うけど、信用が出来ないし、直接言えば口喧嘩になる。

だから言えない。

言えないし、わかったのは頼るより自分自身でやればいい。
前までは、そのやるのさえ、やらなくていいと怒りやらしてもらえなかったから余計にそのずさんな状態を見過ごすことになったんだ。

今、無職なのも仕事しなくていいと言われてのことだが、実際どうなのかな?

周りに反発してやる勇気もない、無職の心地よさから抜け出すのもかなり心の強さがいる。

親という立場を利用しての渡部学へのマインドコントロールなのかな?

未知の領域の人達を信じる今の人生で、なるようにしかならないが、全容が全くわからない。

自分自身の幸せしか結局は取ってないのが極端に決まってしまう日々を過ごす。

無職の心地よさにズルズルと毎日引き連れれる。

やる気はある。体力はかなり落ちたが、アルバイトをやるだけの気力はある。

この家の維持費とか関わらせてもらえないからいくらかかってていくら払ってて、いくら収入や資金があるのか?
全くわかってない。わかってないことを良いことに悪さされてるのであれば俺は敵わないよ。

そう推測して想像したって楽な方を選択してだらだらと毎日幸せだと感じて透析だけ通い、毎日無職で家にいる。

今回、気付きでやっとトイレ掃除や風呂場や洗面所の掃除はしようと思った。

キッチンは母はピカピカだし、ご飯も美味しいのや、好きなものを用意してくれる。不満は一切ない。

冷蔵庫の乱雑収納ぐらいは目を伏せてもいい。母の自分自身の管理は頭に入ってるならそれでいいんだろう。

自分自身とはやり方も考え方も道具の使い方も道具すらも全て細かく違ってくる。

こだわりがあれば、やり方も人に合わせるのはストレスなのは渡部学も知ってるし、渡部学がそういう性格だから。母もそれと同じだと思うと納得はできるので介入してうるさく指摘するのはしないことにしてる。というか、ご法度だ。

昔は一人暮らしがしたかった。何もかもが自分自身のこだわりがあったし、母のやり方も気にくわなかった時期がある。
実家が快適に感じなかったが、今では逆に自分自身でなんにもしなくなり、母の管理に頼りきり、何にもする気はなくなってたことに気付いてた。

だが、きっかけが母の掃除も時には一部分では、ずさんな状態であるところも発覚して、また気付いた。

任せきりってのは怖い。何がどうなってるのか自分自身で把握出来てないこと。

言えばもうこの実家は渡部学の管理下ではほとんどない。

出来ることも限られる。金銭的経済状況の状態にも限りある。

言えばきりがない。

幸せってのは自分自身ですることも必要だよね。

快適が全て自分以外が全て整えてくれると感じてた。

ほぼ、それだけどもね。今も。

だけど、出来ることはやるべきと最近知った。やらせてもらえる人間関係ってのも必要。

あれもだめ、これもだめじゃやれる人が出来ることすらやらせてもらえないが、どんどんしなくなってしまう心理的に刷り込み意識にさせられる。

アルバイトは渡部学は耳が悪すぎるし、わがままだから喧嘩になるし、お前は仕事されたら世間に恥ずかしいからしなくていい。

これが父と、母の考え方。そして、母だけになったけど、母はお兄ちゃん達がめんどうみてくれるからと甘さのある考え方に固執してる。
確かにめんどうは今もみてもらっているが、母が思うめんどうを見れるか疑問だ。盲目とはこういうことなんだ。

いや、俺も全容わからず盲目とはこのことだ。

確かに幸せなんだけど。

見えない知らない、知らされない、知らなかったは本当に世の中怖いよね。

情状酌量の余地があるなら、記憶とその人の性格と状態をちゃんと精査して審判してくれて正しく幸せになれる誘導してほしいよね。

啓蒙活動家って名乗ってるのに、啓蒙してほしい人の筆頭の俺。

今日はいい天気で涼しくて温かくもある。過ごしやすい天候。

避暑地はこうでなくちゃ。猛暑が各地で起きてる中で、北海道紋別市は寒い方(笑)夏なのに涼しくていい。寒いのはねー暖房灯油燃料や給湯器の燃費悪くて困る。

未知の領域を含めて、さらに通常の情報操作や裏社会的な危険な妨害、犯罪的な組織とか、個人とかに何か悪されてたらまた怖いよな。
未知の領域知っても全容はわからず。
高校生の時のクラスメイトの同級生達にもほとんど会わない、連絡もないことすら意味もわからないし。なんでだろう?時差?死んでるって状態にされたから?

でも、会える人達もいる。メールも出来たり、出来なかったり、遮断されたり、仲介されたり。情報操作も厄介なことは多々ある。

渡部学ってさ。一般人と自分自身で言うけど、一部分ではもう未知の領域に足を踏み入れてるから、通常じゃないことも納得せざるおえないのか?

幸せってことは危険な人達から遠ざけているんだろう。

だって無力だし。何も俺は持ってもいないのだから。未知の領域に関連した何かは何も持ってない。知ってるだけ。

なんなんだかなー。今年の紋別市の港祭りには、高校の同級生クラスメイトに会えるのだろうか?