HImaP&Σ 創始者、啓蒙活動家、渡部学(ワタナベマナブ)。
2024年6月25日(火)日本時間、PM9:25、夜、曇り、寒い。

渡部学もこの日記の記事を書くことで、知らない人達、ワタナベマナブが望んでない心理で読み、ワタナベマナブが望まない心理で受けとる人達がいる。

ワタナベマナブは有名人ではない。ない?裏事情は知らないのでワタナベマナブもある意味では有名人なのか?

芸能人や有名人の気持ちがわかる。

ドラマや作品での役柄で、憎まれたり、恨まれたり、嫉妬や幸せや贅沢な生活に対して僻み。

渡部学も広報して記事を載せてる身。

知らず知らずに、渡部学の思うところ、理解者だけではなく、心理的に反発心理や敵対心を持つ人もまた現れることを知りました。

広報とはそれほどにも、無自覚に人々を刺激すること。

強烈に強い影響を与える人間や内容には、賛否両論が生まれる。
それゆえに、渡部学の望むような理解者だけではない場合も時に発生してしまう。

ただ無視すればいい。嫌なら関わらないでいればいい。

そういう簡単な理解で済むなら困難は起こらないのですが、そうとも言えない。

しかも、渡部学も言えない。渡部学も自分自身がそれに自分から関わりコメントなどを読んでおいて、反発したり、反論したりしたことはある。
あるから、全てそういうことを断固として反対することもまた正解ではないけど。

最近思うのは、むやみやたらと悪を憎んだりするあまりの無差別な敵意や、反論や反発心理からくるヘイトスピーチを過去にした渡部学も反省してる。

こういうことを渡部学も最近気付き、自分自身でも関与してしていたことを反省しました。

必要ないことはしないことがいい。

でも、必要と思うことはしたい。

こういう矛盾が世の中にはあるんですよね。

人間生きてるからこそ、自分自身の生き方、考え方、感情があり、人と関わる、当たり前のこと。

生きてるから、人との理解の相違が生まれる。

死んだものに幸せもなければ、困難もない。

渡部学は死んだことがあるとかないとかの話、オカルト話ではなく。

今ここに生きてる。現実的に今ここに生きて存在してる。誰かが存在を隠蔽して隠しても、渡部学は生きていて痕跡はどこかに残ってる。

人の記憶にも。

生きてるってそういうものだからさ。
未知の領域を駆使したら存在の完全な隠蔽はできる。
だが、隠蔽した人達の記憶は残る。

生きてる以上は人は必ず人間として記憶という消しようのない記録を保持してる。

影響を与えるのは直接的な繋がりの人間だけではない。

電脳空間というか、SNSでも目には見えてないとしても、そこには人がいて、掲示板のように思ってるここでの記事にも影響を与えてると知りました。

良い繋がりばかりではないのは仕方ないとしても。

出来るなら、理解者との繋がりを希望してはいる。

人間ってさ。理解出来ない人のことを、理解出来ないから嫌悪して余計に思考に固執させて、執着して嫌がることあるよね。

でも、自分自身から関わることを敬遠して、疎遠できる、離れられるなら離れた方が利口ですよね。

関わるしかなくても、出来る限り自分自身から関わらない方法もある。

渡部学は自覚がなく、関わりたくない人達と知らずに関わるような記事の掲載をそこにしてる可能性もある。

その場合、自覚がないので阻止して変わるにはかなり強制的な方法を味方が助力してくれないと難しいね。

広報って怖いよね。

影響力が強い人間ってのは良くも悪くも人々の心理面で影響を与えてしまう。

輝けば、心の闇を抱えてる人は反発する。
輝けば、人を魅了し惹き付ける。

でも、渡部学は輝ける道を選ぶ。

出来るなら理解者の方々の恩恵だけを受け取りたい。

今年の渡部学のテーマは【栄耀栄華】

HIPPYさんの【君に捧げる応援歌】最近気に入りました。

leccaさん ちから

心の代弁者達の唄はいいね。

渡部学を唄う記事。