主人の最後をこちらに書かせて頂こうと思いながら文字にすると亡くなってしまった現実がつぶさになり辛く少し書いては保存するという状態でした。
しかし毎日、弔問に多くの方がお越しくださり主人とのお別れや思い出話しをさせて頂くうちに置き所のなかった気持ちが少しずつですが落ち着いてまいりました。
脳内出血を、起こしてから意識はとうとう一度も戻りませんでしたが、こちらの声は聞こえるとのことで聞こえるように大きな声で最後まで話しかけていました。
その状態でも自宅に連れ帰りたい思いと動かしたら非常に危険であるという先生の言葉に家族で話し合いをした結果、一分一秒でも生きていて欲しいという事になり病院で最後を迎える事となりました。
大好きな音楽をかけたりカープの中継を聴かせたりしていましたが、音声でメッセージを下さった北斗さんの励ましの声に主人の眉間のシワが消えてそれは穏やかな顔になったのです。
先生のお計らいで家族が24時間付き添える事になり最後は家族全員に看取ることが出来ました。
球団、ホームテレビ様のご協力の下、素晴らしい告別式をして頂きましたが、こんなにも多く報道番組、新聞、ネットなどで主人の訃報、軌跡を流して頂きまして驚いております。
告別式を終えて帰宅し、気が抜けたようになっていた所にお越しいただいたのは、仕事で式に間に合わなかった北斗さんと佐々木健介さんが自宅に別れに駆けつけて下さいました。
広島のお兄ちゃんが亡くなったと泣きながらご焼香いただいた後に家族全員を抱きしめてくださり北別府さんはみんなの心にこれからも生きているからと言葉をかけてくださいましたが、喪失感しかなくもぬけの殻みたいになっていた私を始め家族が正気を取り戻し、お陰様で心穏やかに生活できるようになりました。
不思議な力というものはあるものですね。
まだ、辛くて覗いていなかった北斗さんのブログもやっと拝見することができ、また涙しております。
試合のため告別式に来れなかった旧知の友人、森保監督もお別れにお越しくださいました。
この部屋には私が病室で最後に作った主人のパジャマも現役時代のユニフォームと共に飾っています。
主人はGVHDで身体中が痛く、手を曲げることも出来ず普通のパジャマでは特大サイズさえ着ることが困難でした。
主人は骨折してからというもの自力で歩けなくなり介護生活となりましたが、介護の身となってからも様々な辛い治療に常に前向きでしたので介護する側の私も心一つにして向き合うことが出来たこと、そんな主人に感謝しています。
発病してから3年半もの間、東京から励ましくださった後輩小早川さんの奥様、時には病室の外でおしゃべりに来て頂き(血液内科はまだ面会制限が続いています)どんなに心強かったことでしょうか。料理教室の先生をしておられるので広島にも教室を作り手伝わせて下さいとお願いしています。
これから生きるために仕事もしたいと思っていますから。これからは小早川ブログも覗かせて頂きますね。
主人の故郷の曽於市や母校でも追悼をして下さり感謝しかありません。
(ネットから写真をお借りしました)
お線香の匂いが苦手な猫ちゃんたちですが、亡くなって初めて来てくれて、主人の前から離れようとしません。
(ネットからお借りした写真です)
そのボールはこちらです