著者の梅原さんは、日本初のプロ・ゲーマーにして、世界最強の格闘ゲーム・プレイヤーである。
本のタイトルは、「勝ち続ける意志力」。正直、苦手な感じの言葉だ。にもかかわらずこの本を読んでみたいと思ったのは、「真剣勝負を極めた人にしか見えない世界がある」と思うからである。そしてその世界には、ある種の普遍性が存在する気がする。
宮本武蔵の『五輪書』などはその好例だろう。「いかに敵を斬るか」を突き詰めた兵法書が、兵法を必要としないはずの多くの人々に愛読されている。それはそこに、ある種の「真理」のようなものが含まれていて、兵法以外のことにも通じるはずだ、と思われているからだろう。
もう少し身近なところで言えば、将棋の羽生善治さんの著書などもそうだろう。『直感力』『決断力』『大局観』というタイトルを見てもわかるように、将棋を極めた人の哲学は、将棋という枠を超えて人生に通じるものがある、と考えられているのである。
他にも「伝説の雀士」と呼ばれた桜井章一さんや、騎手の武豊さんなども、そうした人物の一人かもしれない。「勝負の世界を極めた人の言葉には、何か深いものがある」。それは多くの人が感じていることだろう。
本書の著者である梅原大吾さんが極めたものは、先述したように「ゲーム(格闘ゲーム)」である。「何だ、ゲームか」と言う人もいるかもしれないが、将棋だって、麻雀だって、野球だって、ゲームの一種である。
ただその中でも、梅原さんが極めた「ゲーム」の世界には、将棋や野球とは大きく異なる部分がある。それは、最近まで「プロの世界が存在しなかった」ということである。要するに、職業としてのカテゴリー自体が成立していなかった。
たとえば将棋なら、すでにプロの世界が確立されていて、「とにかく勝ち続ければ食っていける」。もちろんそれが並大抵のことではないのは言うまでもないが。一方で、「ゲーム」にはプロの世界がなかった。単純に娯楽、遊びとしてしか考えられていなかったし、今でもほとんどの人の認識はそうだろう。
この違いは大きい。「それだけで食っていける」というプロの世界があれば、そこに目標を設定してひたすら努力する、という道筋を描くこともできるだろう。そして必然的に、それを支援するような組織なども整備されていく。圧倒的な才能、実力があれば、それは決して夢物語ではない。
だがプロの世界がなければどうか。いくら格闘ゲームで100戦100勝の実力があったとしても、そこだけに人生を懸けることは難しいだろう。「そんなこと続けても、将来何の役にも立たないよ」という声は、周囲の他人からだけではなく、自分の心の中からも聞こえてくるはずである。
僕は梅原さんとだいたい同世代なので、「ゲームでプロになる」ということがどれだけ非現実的なことと思われていたか、身を以て知っている。そういう「妄想」を抱いた人はたくさんいるはずだが、だからといって、そこに自分の人生を懸けるほど打ち込む人はほとんどいなかったように思う。そんな中で、彼はゲームを続け、自分自身が日本人プロ・ゲーマーの第1号になった。これはとんでもないことだと思う。
梅原さんを支えたもののひとつに、「好きなものを徹底的にやれ!」という親の考え方があったことは明らかだろう。おかげで梅原さんには「反抗期がなかった」という。このことは、子育てをしている親にとっても興味深いことではないだろうか。しかしその徹底的にやれと言った「好きなもの」が、まさかゲームだとは……。さすがの梅原さんの親御さんも困惑したはずである(笑)。
梅原さんは途中で麻雀に転向した時期もあったが、そこでもおよそ3年でトッププレイヤーにまで登り詰めたというのだから恐れ入る。やるとなったらとことん突き詰める姿勢と、そのための惜しみない努力。「何かを身につけたいと思うのであれば、丁寧に、慎重に、基本を学ぶべきだ」という言い古された言葉も、梅原さんが言うとより説得力を増す。
「何かを極めた人の哲学は、その分野の枠を越えて通じる」ということを冒頭で書いたが、梅原さんの次の言葉もそのひとつだろう。
「矛盾するようだが、結果に固執しないと結果が伴う」
勝つことに囚われ過ぎると逆に勝てなくなる、というわけだ。これは多くの勝負師の語るところではないだろうか。かの宮本武蔵も、心を一カ所に置かないこと、すなわち、心が何物にも囚われないことの大切さを『五輪書』の中で強調している。しかし「結果に固執しない」というのは口で言うほど簡単なことではない。梅原さんがそれをできるのは、「目的」と「目標」を明確に分けているからである。
梅原さんの「目的」は、ゲームを通して自分自身が成長し続けることだという。それに対して、ゲームの大会で優勝するというような「目標」は、言わば日々の成長を確認するための場、一里塚のようなものにすぎない。本当に大事なのは、一時的な結果ではなく、持続的な成長だというわけである。
そして持続的な成長のためには、持続的な努力が欠かせない。いくら努力が大切だからといって、短期間で息切れするようでは話にならない。だから彼はこう問いかける。「その努力は10年続けられるものなのか?」と。10年続けられるくらいの「ちょうどいい」努力をひたすら継続すること。これが何よりも大切だと言うのである。
こうして10年という長い年月を視野に入れながらも、「まずもって目の前の勝負に全力を注ぐ」。この長期的な時間意識と、短期的な時間意識の往復。ここに、彼がトップ・プレイヤーであり続けられる秘訣があるような気がする。それを可能にしているのは、「自分はゲームをやり続ける」という強い覚悟である。そしてその覚悟を支えているものこそ、「ゲームが好き」という純粋な思いなのではないだろうか。
「その努力は10年続けられるものなのか?」という問いは、同時に「お前、本当にそれが好きなのか?」という問いをも含んでいる。