土曜日の朝、なんとなくテレビをつけていたら、「題名のない音楽会」という番組がやっていた。
その中で、いま注目の音楽家が何人か紹介されていた。
演奏風景とともに、その人のプロフィールがテロップとナレーションで語られる。
確かチェロ奏者の方の紹介だったと思うのだが、プロフィールの最後に、ものすごい「パワーワード」を発見した。それがこれだ。
「小澤征爾から絶大な信頼を得ている」
音楽家にとって、これ以上のステータスがあるだろうか。恐ろしいほどの説得力である。
いや、ここまでくると、もはやその価値は「音楽家」という枠組みさえ超えてしまうだろう。
プロフィールの最後にとりあえず「小澤征爾から絶大な信頼を得ている」と書いておけば、どんな職業だろうと、どんな人だろうと、「ああ、すごいんだな!」という印象を与えることができるのだ。
例えば、作家の山田太郎さんの場合。
山田 太郎
作家。1992年生まれ。○○大学卒。著書に『○○○○』、『○○○○』など。小澤征爾から絶大な信頼を得ている。
もうその実力に疑いを持つ人など誰もいないだろう。
その効果は、いわゆるクリエーターでなくても十分発揮される。たとえば街の豆腐屋さんならこうだ。
山田豆腐店
1945年創業。オーガニック大豆などが注目される中、特にこだわりのない豆腐を作り続ける街の豆腐屋。小澤征爾から絶大な信頼を得ている。
なぜかこっちが必死になって、豆腐屋の魅力を探してしまう。
このように、とりあえず小澤征爾から絶大な信頼を得ていれば、もはやいかなるこだわりさえ必要ないのだ。
さらに、その影響力はスポーツにまで及ぶ。
山田 蹴太
プロサッカー選手。左サイドバック。代表歴はなく、能力的に突出した点は特にない。監督からの信頼は薄いが、小澤征爾から絶大な信頼を得ている。
もはや「監督からの信頼」をもしのぐ、小澤征爾の説得力。監督も、「小澤征爾が信頼してるなら……」と、つい試合に使ってしまうのではないだろうか。
たいして優れた点がないように見えても、「小澤征爾から絶大な信頼を得ている」のなら、「きっとものすごい何かを持っているに違いない!」と思わされてしまうのだ。
この小澤征爾の凄まじいまでのステータスは、いまだ何の職業にもついていない幼稚園児にさえ有効だ。
山田ひろしくん
3歳。十条幼稚園に通っている。とっても甘えん坊で、お母さんが近くにいないとすぐに泣き出してしまう。砂遊びが大好き。小澤征爾から絶大な信頼を得ている。
「きっとすごい子なんだろうな!」と思わされてしまうではないか。
このように、プロフィールの最後に「小澤征爾から絶大な信頼を得ている」と書いておけば全てはオーケーだ。
しかし問題は、「どのようにして小澤征爾から絶大な信頼を得るか」だ。
その点については、おのおの自分で考えてもらいたい。
小澤征爾指揮「小澤征爾の80曲。」ユニバーサルミュージック、2015年。