歌と自由 | 杉原学の哲学ブログ「独唱しながら読書しろ!」

「自由」というと、

「何でも好き勝手にできる!」

というイメージが思い浮かびます。

 

そしてほとんどの人は、

「自分はいつも自由でありたい」

と思っているのではないでしょうか。

 

もちろん僕もそのひとりです。

 

でも、ふと不思議に思うことがあります。

 

僕はカラオケが大好きで、

歌を歌っている時は最高に幸せなのですが(笑)、

よくよく考えてみると、「歌を歌う」ということは、

「既存のメロディーをなぞること」にほかなりません。

 

少なくとも、

「何の制約もなく自由に声を発すること」ではなく、

一定の枠組みの中で声を出すことを求められます。

 

もし冒頭で述べたような「自由」が

人間にとって最も素晴らしいことなのだとしたら、

そんな既存のメロディーなど無視して、

それこそ「好き勝手に」声を発した方が

より楽しいはずなのではないか。

 

しかし実際はそうではありません。

 

あくまで、

すでにある「曲」という枠組みの中で、

「うまく歌えたな」とか、

「自分らしく歌えたな」というとき、

人は「自由に歌えた」と

感じるのではないでしょうか。

 

そう考えると、

「無条件な自由」というのは、

必ずしも人間を自由な気持ちにさせるとは

限らないのではないか、という気がしてきます。

 

「どの曲を歌うか」とか、

「どんなふうに歌うか」とか、

「誰に向けて歌うか」とか、

それらを私たちは自由に選びます。

 

でも「この曲を歌う」ということは、

「自分はこの制限を選択する」

ということでもあるはずです。

 

だけど、それが楽しい。

 

歌を歌っていると、実に素朴に

「自由ってなんだろう」と、

不思議な気持ちになってくるのです。

 

ピアニストが、有限の鍵盤から

自由なメロディーを奏でるように、

人間にとっての自由というのは、

実は有限性に基礎づけられてこそ

意味を持つものなのかもしれません。

 

 

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