集合写真で真ん中にいるのは目立ちたいからではない | 杉原学の哲学ブログ「独唱しながら読書しろ!」

先日、久々にシブヤ大学の授業に出た。

 

授業の終了後に撮られた集合写真が、

後日、ホームページに掲載されていた。

 

こういう集合写真は、

たいてい講師が最前列の真ん中に来て、

それを生徒が取り囲むように並ぶことになる。

 

僕は講師の真後ろで、

素敵な笑顔をたたえながら写っていた。

 

楽しい授業だったことがひと目でわかる、

実に素晴らしい一枚だった。

 

ところがそれを見た友人は、

僕に鋭く突っ込みを入れてきた。

 

「なに真ん中で目立とうとしてんねん!」

 

もちろん僕にそんなつもりは毛頭ない。

 

……だが言われてみれば確かに、

僕は集合写真で真ん中に写っていることが多い。

 

しかしそれは、

決して目立ちたいがためではないのだ!

 

つまりこういうことである。

 

授業やイベントが行われる場所は、

だいたい使える時間が決まっている。

 

よって、イベントが終わり次第、

速やかに撤収しなければならないのである。

 

必然的に、イベント終了後の集合写真も、

速やかに撮影しなければならない。

 

ところがである。

 

授業が終わった直後というのは、

生徒同士で話が盛り上がりがちなのだ。

 

「写真撮るので集まってくださいー!」

 

と言っても、なかなかすぐに

集まらないことが多いのである。

 

僕はかつてシブヤ大学で

ボランティアスタッフをしていたこともあるので、

そのことを身をもって知っている。

 

「善意が服を着て歩いている」

と評される僕としては、必然的に、

「率先して早く集合しよう」

となるわけである。

 

そして並ぶ順番は、ご存知のように、

早く来た人から真ん中に詰めていくことになる。

 

で、結果的に、

僕は真ん中で写ることになる、

というわけである。

 

「その非難は全く当たらない」

ということがお分かりいただけただろうか。

 

僕はこの事実を友人に滔々と説いて聞かせたが、

なお疑いの目を向けるのをやめない。

 

「善意が必ずしも報われるわけではない」

という世の不条理を、

僕は嘆かざるをえなかった。

 

 

シブヤ大学編『シブヤ大学の教科書』講談社、2007年。

 

 

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