飲尿オーガスタ | 杉原学の哲学ブログ「独唱しながら読書しろ!」

「飲尿オーガスタ」。

 

あらかじめ断っておくが、

椎名林檎のニューシングルではない。

 

先日ある集まりで、

飲尿について伺う機会があった。

 

飲尿といっても別にそういうプレイではなくて、

人類が太古から用いてきた民間療法のようなもの、

いわゆる「尿療法」と呼ばれるもののことである。

 

MCL(尿療法)研究所会長、

中尾良一氏は次のように述べる。

 

「そもそも尿療法とは

 読んで字の通り尿を飲むことによって

 諸々の病気を治すという事であり、

 大部分の疾患については

 これ以上の治療法はないと思われます」

 

ただし、

 

「この尿療法による実績は経験による結果であって、

 理論付けはまだまだこれからの問題であるといえます」

 

とのことだ。

 

尿と言えば、体内の無駄なものが排出された

不要なもの、汚いものと考えられがちだ。

 

しかしそうではなく、

むしろ必要なものを豊富に含んだ

「人間にとっての堆肥」、

それが尿だと言うのである。

 

僕はこの話を聞いて、

ふと思い出したことがあった。

 

それは、無農薬、無化学肥料の

「循環農法」で野菜を育てる百姓、

赤峰勝人さんの話である。

 

彼は次のように言う。

 

「私たち百姓は、スギナを土の栄養を奪っている憎き雑草と考えてきました。そして目の仇にして抜いていたのですが、そうではありませんでした。むしろスギナは土に不足しているカルシウムを補うために、その使命をもって生まれてきた草なのです。〔中略〕竹が枯れたあと、その竹をその場に返していくと、ミネラル豊富な土ができていきます。でも竹を切ってよそに持ち出し、その土に戻さないと、土はやせたままなので、いつまでも元気な竹が育ってきます」(赤峰勝人『ニンジンの奇跡 畑で学んだ病気にならない生き方』講談社、2009年、31頁)

 

「そこに必要な草しか生えないということ、草が土に足りないミネラルを補っているのだということを教えてくれたのが、ニンジン畑に生えたスギナだったわけです」(同32頁)

 

 

 

 

つまり畑の邪魔者だと思っていた雑草は、

実はその土地に必要な栄養素を豊富に含んだ

最上の堆肥だった、というわけである。

 

この畑の話を人間に置き替えれば、

「尿療法」への理解も開かれるのではないか。

 

つまり尿も、ただの排泄物ではなく、

人体が求めている栄養素を体内で生成したもの、

と考えることもできるわけだ。

 

それならさっそく試してみよう!

 

……と思うだけならカンタンなのだが、

いざやる段になると急に怖じ気づいてしまう(笑)

 

これが「尿療法」実践の最大のハードルだろう。

 

でもせっかくなので、

この実践を少しでも生活の中に

取り入れてみたい。

 

そこで思いついたのが、

「飲尿オーガスタ」である。

 

いきなり自分で飲尿はハードルが高いので、

わが家の観葉植物「オーガスタ」にやる水を、

尿に替えてやろうというわけだ。

 

オーガスタにとっては

「寝耳に水」ならぬ

「寝耳に尿」なわけだが、

ここは俺の代わりに頑張ってもらいたい。

 

オーガスタがものすごく元気になったら、

僕も恐る恐る試してみようと思う。

 

頑張れ、飲尿オーガスタ!!

 

 

どことなく怯えているように見えるオーガスタ

 

 

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