新しいハリボテ | 杉原学の哲学ブログ「独唱しながら読書しろ!」
ご無沙汰していた方と久々に会うために、
初めてある短大に行ってきた。
じつに落ち着いた、雰囲気のいい学校だった。

裏門の新しい校舎側から入ったのだが、
「ぜひ正門側の古い方の礼拝堂も見ていってください」
とお会いした方に言われて、
別れてから一人ぷらぷらと見にいった。

正門の脇に警備員さんがいたので、
礼拝堂を見に来たことを話すと、
丁寧に建物の説明をしてくれた。

震災のときは、
古い建物の方はびくともせず、
新しい建物の方がむしろ
ガラスが割れるなどの被害があったという。

というのも、古い方の建物は
関東大震災があってからこの場所に建てられたので、
めちゃくちゃ地震に強い構造になっているという。

一度調べてみたら、
支柱の太さが現在の建築基準の
2倍以上もあったそうである。

80年以上の歴史を持つ建物だが、
現在も現役で使われていることを
警備員さんは誇らしげに語っていた。

「こういう歴史のある建物が
 残ってるってのはいいもんですね」

と言うと、

「はい。……やっぱりいいですねぇ」

と実に嬉しそう。
こちらまで嬉しくなってきた(笑)

どんな建物でも古ければいい、
というものではないけれど、
現在の建物にくらべればよっぽど
そこに「想い」のようなものが
込められている気がする。

極端に言えば、
建てられる「動機」がそもそも違うのだ。

もちろん表面上は、
家は住む人のために建てられるし、
校舎は教育の場として建てられるし、
ショッピングセンターは
買い物をする人のために建てられる。

ところがこれらは文字通り「建前」であって、
多くの場合は「金のため」に建てられる。
最近はますますそうである。

そういう建物は、
本質的には「ハリボテ」なのだと僕は思う。

使うのは人間に違いないが、
実は使う人間のために
建てられたものではないのだから。
周りを見渡せば、そんな建物にあふれている。

「古いものはいい」
というのは単なる郷愁から出る言葉ではなく、
実際にそう思える根拠のようなものを、
僕らは感じ取ることができるのである。