目に見えないものへの感受性 | 杉原学の哲学ブログ「独唱しながら読書しろ!」
あの地震の日から二年が経った。

震災について書こうとすると、
どうしてもスラスラとは言葉が出てこない。

ためらいながら、
書いては消し、消しては書き、
けっきょくほとんどのことは、
文章になることはない。

過去形で語れることは
ほとんどないように思える。


僕は震災からおよそ1ヶ月後に、
次のようなことをブログに書いた。

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長い視点で見たならば、
今回の震災から影響を受けずにすむ人は
おそらく一人もいなくなるだろう。

それがよいことなのか悪いことなのかは、
僕たちが決めればよいことである。
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あの震災が人間の心を揺り動かし、
何かを目覚めさせようとしているのだとすれば、
それは「目に見えないものへの感受性」
であるように僕には思える。


僕らは死者と対話することができる。

まだ見ぬ子孫に思いを馳せることができる。

目に見えないものに恐怖する力を持っている。

自分と他人を区別しない心を持っている。

大切にしなければならないものを、
感覚的に知っている。


忘れないということは、
想い続けるということでもある。

その想いが、世界をつくっていく。