エーマイナー | 杉原学の哲学ブログ「独唱しながら読書しろ!」
曲のコードには、
Am(エーマイナー)や、
Dm(ディーマイナー)といった、
いわゆる「マイナーコード」と
呼ばれるものがある。

A、D、Gのような明るい響きを持つ
「メジャーコード」に対して、
「マイナーコード」は
物悲しい音の響きが特徴とされる。

これを、
「はい、これがAm(エーマイナー)」ですよー」

♪ジャラ~ン

というふうに単体の音で教わると、
確かに「物悲しい響きの音」として聞こえる。

ところが、
これを音楽のメロディーという
音の組合わせの中で聴くと、
必ずしもそうではないのである。

時に渋さを表現したり、
曲の中で最高の盛り上がりを作ることもあるし、
ユーモラスな響きを持つこともある。

要するに、音と音のつながりの中で、
その音の役割やイメージも変化するのである。

これは音に限ったことではなく、
人間だって同じことである。

その人がそういう人として存在しているのは、
そういうつながりの中で存在しているからである。

よく、
「そこでダメだったらどこに行っても同じだよ」
などと言う人がいるが、
実際には全くそんなことはない。

もしもいまいる場所でいじめられて、
生きる気力を失いそうなら、
その場所から全力で逃げればいい。

その次の場所でもダメなら、
またその次の場所へ逃げればいい。

「どこまでも逃げ続けろ」

と僕は言いたい。
大切なのは生き延びることである。

心配しなくても、
世の中に変化しないものなど
何もないのだから、
生き延びてさえいれば、
ものごとは変化していく。

そして人間というものは、
いちばん苦しいときにこそ、
一番大切なものを掴むことができる。
それが、その人だけでなく、
その人の周りの人をも支え続ける。

だからこそ、
どんなに苦しいときも、
生き延びてさえいればいいのである。
それだけで100点満点である。

その間に、どれだけ心が耕されることか。
そこをくぐり抜けてきたなら、もう大丈夫。

僕はそういう人にこそ、
この社会の希望は托されるべきだと思っている。
俺すごいいいこと言った。