「最近の若者は内向きだ」
「世界に出ていく若者が減ってきた」
そんなことが最近よく言われる。
それも、ほとんどの場合、批判的な意味でである。
世界のグローバル化のなかで
そのような論調がでてくるのはよくわかるが、
僕なんかは、若者の内向き志向は
(実際にそうなのかはかなりアヤシイが、仮にそうだとして)
とても面白いことだと思う。
だいたい、「日本から世界へ」というのは、
明治時代からずっと言われつづけているスローガンで、
その結果が、いまの日本という国である。
だから、いま日本が抱えているあらゆる問題は、
この「日本から世界へ」というスローガンと
少なからず関係があるのである。
だとすれば、そのスローガンの「負の側面」を
体感として最もよく理解しているのが若者たちである、
というのは当然のことであろう。
未来の社会をどんなカタチに
していくべきなのかということを考えるとき、
これまでの歴史をふまえることは当然として、
いちど若者たちが向かっている方向性に
目を向けてみるべきである。
なぜなら、若者たちこそが
「未来の当事者」だからである。
当事者である、という事実の重さの前では、
大人の打算的なイマジネーションなどは
とるにたらないものである。
そういう前提に立ってみたとき、
若者たちが「内向き」なのだとすれば、
「なぜ彼らは内向きを志向するのか」
ということについて謙虚に想像をめぐらせ、
その「内向きの可能性」に目を向けるのが
大人達の役割なのではないだろうか。
「最近の若いモンは…」
と言われる若者が存在しない共同体は、
もうすでに死んでいる共同体である。
そんな若者のイマジネーションを殺すことは、
共同体の自殺にほかならない。