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著者の方から人づてに僕の手に渡ってきた本。
それだけに、僕がこれから考えていこうと思っている分野に
かなり近い内容でとっても参考になった。
空間的な「横のつながり」と、
時間的な「縦のつながり」の両方が必要
という主張には大いに共感する。
あと福島智氏の話は、何度聞いても心を揺さぶられる。
「孤独の生を生き抜くためには、
他者の存在とそれを確信するための
コミュニケーションが不可欠と結論づけた」
という言葉は、彼にとって
きれいごとでもなんでもない。
人間がひとりでは生きていけないことは
みんなわかっているけど、それがもっともっと
「あたりまえにそうなんだ」ということは、
なかなか感じられない。
それは現代という時代の病なのかもしれない。
【引用メモ】
縦糸とは時間軸で自分を支えてくれるもの、すなわち「先祖」です。この縦糸を「血縁」と呼びます。/また、横糸とは空間軸から支えてくれる「隣人」です。この横糸を「地縁」と呼ぶのです。/この縦横二つの糸があれば、安定して宙に漂っていられる、すなわち心安らかにいられる。これこそ、人間にとっての「幸福」の正体ではないかと思います。(p10)
昔の日本では地域や共同体の中心に神社やお寺があった。〝日本人は宗教心が薄い〟というような見方は、戦後の高度成長期に言われるようになたことだと思われる。(p48)
日本人の自殺率上昇が問題になっていますが、自殺にはその地域の人口や、家族数の減少が大きく関わっているようです。過疎化と人口の大都市集中が、自殺に関係があるといわれますが、それを止める方法は今のところ見つかりません。/五木氏は、「そうだとすれば、人間の関係が希薄になっていくにつれて、自殺は増えるにちがいない。そうだとすると、たぶん、いま必要なのは、人間と人間とのあいだをつなぐシナプス、心のシナプスとでもいうべきものではないでしょうか」と述べています。(p104—105)
葬儀は、いかに悲しみのどん底にあろうとも、その人を人前に連れ出します。引きこもろうとする強い力を、さらに強い力で引っ張りだすのです。(p116)
「人生にはときに思いもかけないことが起きることがあります。でも、どんなときも明るい発想ができたらいい。そのほうがまわりも元気になり、希望が持てます。幸いなことに、智は、すべての事柄を肯定的にとらえ、善意に解釈できる人間に育ってくれました。それが母としてももっとうれしいことです」(p120)
福島智氏は「学術博士」の学位を授与された自身の論文について触れています。/論文名は、「福島智における視覚・聴覚の喪失と『指点字』を用いたコミュニケーション再構築の過程に関する研究」です。/(中略)「つまり、一方で生存に伴う根源的な孤独の深さがあり、他方でそれと同じくらい強く他者の存在を『憧れる』というダイナミックな関係性がそこにはある。そして、孤独の生を生き抜くためには、他者の存在とそれを確信するためのコミュニケーションが不可欠と結論づけた」(p126)
現代の思想家や哲学者などはしきりに「人間尊重」などと言っていますが、あれは「権利尊重」以外の何ものでもなく、人間を一つも尊重しておらんと安岡正篤は喝破しました。(p138)
安岡正篤によれば、飲食、住居、立居振舞い、いずれを見ても東洋と統一的・含蓄的であり、西洋は非常に文化活動的であるといいます。(p143)
礼法とはある意味で護身術なのです。(p145)
私たちは、感謝すべき出来事があって、その後に感謝するのがふつうです。しかし天風は「とにかく、まずはじめに感謝してしまえ」と教えるのです。(p173)
「地域の子を地域で育てる」必要性を強調する門脇氏は、著書『子どもの社会力』(岩波新書)で次のように述べています。/「さまざまな個性をもったクラスメイトとのさまざまな場面での付き合いが、子どもたちの他者認識や他者への共感を育てるのに何ほどかの貢献をするのは間違いない。それはそうであるが、だからといって、学齢期にある子どもたちの社会力形成の主要な場が学校であるというのは当たらない。この時期の子どもたちにとっても、彼らの社会力を育むもっとも重要な場は地域社会である」(中略)地域社会には多彩な人々が住んでいるからです。(P199)
「隣人祭り」が起こる直前のフランスでは、SNSが国家的事業として推進されていたそうです。このサービスがフランスで大流行した反動で、リアルな対人コミュニケーションが激減しました。そして、孤独死が爆発的に増えたため、社会的要請において隣人祭りが生まれたという歴史的事実があるのです。(P219)
考えてみれば、祖父母や両親とは生ける「先祖」です。そして、配偶者や子どもは最大の「隣人」です。(p227)