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まず著者のエマソンが
1803年生まれだということに驚く。
ニーチェ、宮沢賢治、福沢諭吉などに
影響を与えたというのだから、
僕らが普段イメージする「昔の偉人」よりも
「もうひとつ昔の偉人」という感じである。
ところが内容は全く古くない。
むしろ未来を指し示している。
彼は本文の中で、
「誰もが社会は進歩したと得意げに語っているが、
進歩している人間はひとりもいない。
社会が前進することはない。
ある部分が進めば、別の部分が後退する。」
と述べているが、それはこの本が
証明していると言っていいだろう。
この本を読んだ人の多くは、
「新しい発見をする」のではなく、
むしろ「なつかしい景色を思い出す」
ような感覚を抱くのではないだろうか。
理屈では、言葉ではうまく言えないけれども、
ほんとうのことだと諒解できる感覚。
その感覚こそが、この本の存在意義にほかならない。
【引用メモ】
詩を読んだときに心に染みわたってくる感情は、その詩に含まれているどんな思想よりも価値がある。(p7)
私たちは吟遊詩人や賢人たちが放つ、目もくらむような輝きよりも、自分の内側でほのかに輝いている光を見つけ、観察するべきだ。しかし人は自分の考えを、それが自分のものだという理由で無造作に片づけてしまう。そして天才の仕事を見るたびに、そこに自分が却下した考えがあることに気づく。一度は自分のものだった考えが、ある種のよそよそしい威厳をたたえて、自分のもとに戻ってくるのだ。(p8)
食事の心配をする必要のない少年たちは、人を懐柔するために何かをいったり、したりすることを軽蔑する。この王侯のごとき無頓着さこそ、人間本来の健全な態度だ。(p14)
自分の仕事をするのだ。そうすれば、もっと強くなれる。(p26)
人は、その人自身でしかありえない。その人を語るのは、意志よりも人格だ。ところが人々は、目に見える行為だけが自分の美徳や不徳を伝えるものと考え、一瞬の息づかいにも、自分の美徳や不徳が現れていることに気づかない。/ばらばらに見える行為も、自然に正直に行われたものなら、なんらかの共通点を持っているものだ。同じ意志から出た行動なら、ぱっと見にはそうは見えなくても、そこには必ず調和がある。(p35)
後天的に授けられるものを教育というのに対し、この根源的な知恵は「直観」と呼ばれる。この奥深い力、どんなに分析しても明らかにしえない究極の事実の中に、万物の起源がある。(p47)
人は誰でも、自分が意識的に行っていることとは別に、無意識に知覚しているものがあること、そして無意識に知覚しているものこそ、全幅の信頼に値することを知っている。うまく言葉にはできなくても、その存在は昼と夜のように明白であり、疑いを差しはさむ余地はない。(p49)
語るということは、直観したものをはるかかなたから思い出そうとすることだからだ。(p56)
誰もが社会は進歩したと得意げに語っているが、進歩している人間はひとりもいない。/社会が前進することはない。ある部分が進めば、別の部分が後退する。/社会はたえまなく変化している。未開の社会が文明化したり、キリスト教化されたり、豊かになったり、科学的になったりすることはあるが、こうした変化は改善とはいわない。何かが与えられるたびに、何かが奪われるからだ。(p90)