部屋の整理をしていると、
小学生のころの写真などが出てきた。
それを見ていてふと思い出したのが、
「替え歌」のことである。
そういえば、僕は幼稚園のときから
替え歌をつくって遊んでいた。
今ではすっかりやらなくなったが、
当時は子どもなりに、
自分の「流儀」みたいなものが
あったように思う。
ちょっとあのころの自分に
先生になってもらって、
有名な曲を例に「替え歌道場」を
開いてもらうとどうなるだろう?
というわけで、
試しにやってみることにした。
今回のお題は、いまをときめく
AKB48の「会いたかった」である。
【原曲】会いたかった/AKB48
-----------------------------------------
会いたかった 会いたかった
会いたかった Yes!
会いたかった 会いたかった
会いたかった Yes!
君に~
-----------------------------------------
これを替え歌にしてみる。
【替え歌】
-----------------------------------------
蝿(ハエ)たかった 蝿たかった
蝿たかった Yes!
蝿たかった 蝿たかった
蝿たかった Yes!
君に~
-----------------------------------------
ものすごく不快である。最悪な気分だ。
しかし、ここが重要である。
原曲が心地よい内容であればあるほど、
替え歌ではより不快な表現を目指す。
これが基本である。
しかも、できるだけ
少ない言葉の変化で表現できるといい。
上の例では、2文字しか変えていない。
あまり多くの文字を入れ替えてしまうと、
替え歌の醍醐味である
「パロディ感」が損なわれてしまう。
ここがまさに腕の見せ所といえよう。
もちろん、これをふまえた上で
大幅に言葉を入れ替えてしまうという技もあるが、
これはかなりの上級テクニックであり、
たいてい失敗すると心得るべきである。
また「会いたかった」の場合には、
最後の「君に~」のところが、
いわゆる「オチ」になる。
ここがどれだけ面白く機能するかが、
この曲の替え歌の成否の鍵を握る。
そして忘れてはならないのは、
替え歌は「聴き手」に参加してもらって
はじめて完成するということである。
もう少しわかりやすくいうと、
「つっこんでもらってなんぼ」
なのである。
漫才では、ボケに対して
相方がツッコミを入れて、
それをお客さんが笑う、
というのが基本的な構造である。
しかし替え歌の場合は、
替え歌というボケに対して、
お客さん自身がツッコミ役となる。
まさに共同作業である。
だから、ツッコミの余地がない替え歌は
たとえ面白くても、何か物足りない。
これは人間そのものについても言える。
ツッコミどころのない人というのは、
いまいち魅力に欠けるものである。
ツッコミの余地のない人に対して、
人は自分の必要性を感じられない。
むしろ「なんでやねん!」と
つっこまれる余地のある人こそが、
周りの人たちに「自分は必要だ」と感じさせ、
自己肯定感を与えているのではないだろうか。
話がずいぶんそれてしまったが、
要するに、替え歌はくだらないほうがよい。