僕はゴーヤでお天道様だから徹夜はしない | 杉原学の哲学ブログ「独唱しながら読書しろ!」
今年の夏は、ベランダでゴーヤを育てた。

実がなるのが遅くてずいぶん心配したけど、
それも猛暑の影響だったのかもしれない。

結果的にたくさん収穫できて、
ゴーヤチャンプルー祭りを満喫。

ぱくぱく食べながら
ベランダのゴーヤたちを見ていて、
ふと思った。

「いま食べてるゴーヤが
 俺の体の一部になるんやとしたら、
 俺とベランダのゴーヤは、
 同じ体を共有してることになるんやなぁ」

考えてみれば当たり前のことだが、
スーパーで買ってきた野菜を食べていても、
そんなことなかなか気づかないわけである。

詳しく調べたわけではないが、
人間の体の細胞の90%は、
90日間で入れ替わるという話がある。

だとしたら、90日間ずっと
ゴーヤだけ食べ続けていたら、
僕は僕であると同時に、
「ほぼゴーヤである」と言ってよいだろう。

で、そのゴーヤが何で育つかと言えば、
土の養分や水、空気、太陽の光などである。

ならば、

「僕の体の一部は、
 太陽の光でできている」

と言ってしまってもいいわけである。

日本人は昔からお天道様に手を合わせてきたが、
お天道様は自分の中にも存在しているのである。

だから、神様に感謝することと、
自分を大切にすることは、
きっと同じことなのだ。

徹夜の仕事を目前にして
しっかり眠ってしまったとき、
ぜひこう叫んでほしい。

「私が徹夜をしなかったのは、
 仕事がイヤとか、責任感がないからではない。
 神様への感謝の想いが強すぎたためだ!」と。

すこし、気分が軽くなるはずである(実証済み)。