セサミンのCMと資本主義の呪縛 | 杉原学の哲学ブログ「独唱しながら読書しろ!」
「セサミン」という商品がある。

「年齢を、あきらめない」
というコピーからもわかるとおり、
若々しさを保つための健康食品である。

このセサミンのCMを
何度か見たことがあるだが、
なんだかあまりに切ないのである。

僕が見たのは、2つのバージョン。

ひとつは、元プロ野球選手である
村田兆治さんが、ユニフォームを着て
全力投球を見せるというもの。

もうひとつは、
冒険家・プロスキーヤーである
三浦雄一郎さんが、雪山をひたすら
登り続けるというものである。

どちらも共通しているのは、
「たったひとりでがんばっている」
ということである。

コピーはちょっと覚えてないが、
たしか「年齢を、あきらめない」
だっただろうか。

もちろんCMなんてのは
完全に演出されたフィクションなので、
僕が受けた印象やこれから書くことは、
村田さん、三浦さん本人たちとは
全く関係がないことを先に断っておく。

CMの意図としては、
もう現役の年齢を超えた人が
目標を持って挑戦している姿を描き、

「セサミンがあればずっと元気で
 若々しくいられますよ。
 (だからセサミン買ってね!)」

というメッセージを
伝えるということだろう。

ところが僕には、彼ら二人の姿が
なんだか痛々しいほどに
切なく映ったのである。

このCMが切なく見えた理由は、
彼らが「たったひとりで頑張っている」
ということに尽きるだろう。

そう、孤独なのである。

もう「おじいちゃん」と
呼ばれる年齢になっても、
たったひとりで自分の生き甲斐を
追求している姿が描かれている。

それが僕にはとうてい
幸せな姿には見えなかったのである。

がんばって生き甲斐を
追求するのもいいけど、
やっぱりひとりじゃせつない。

僕だったらむしろ、
彼らが長い人生の中で
築き上げてきた技術や経験を、
後輩や子どもたちに伝える姿を描きたい。

そして、

「そのためにはやっぱり、
 自分自身が健康じゃないとね。
 (だからセサミン買ってね!)」

というメッセージを伝えたいものである。

でも今のCMのシチュエーションでも、
例えば村田さんの場合だったら、
ボールの受け手であるキャッチャーを
設定することはできたはずである。

三浦さんの場合も、険しい雪山を
わざわざ一人で登る必要はない。
別に二人で登っているシーンでも
ほんとうはいいハズである。

それでもこのCMでは明らかに、
「ひとりでがんばっている」
姿を意図的に演出している。

僕はこの演出の仕方に、
資本主義社会の本質を見る思いがした。

このCMで描かれている
「たったひとりでがんばる姿」こそが、
資本主義社会における
(資本主義社会にとって都合のいい)
理想的な老後の姿なのである。

多少カラダが悪くなってきたときに、
家族や仲間がサポートしてくれる社会では、
こういう商品の必要性は
あまり感じられなくなってしまう。

だから、人と人とのつながりを断ち、
みんながバラバラになってくれた方が、
商品やサービスは売れるし、企業は儲かる。
それが資本主義社会のしくみである。

その先に人間の幸せがあるかどうかは、
ほとんどの企業にとっては関係のない話である。

だから、基本的にCMを含む広告などには、
潜在的にそういう意図が潜んでいるということを
ちょろっと意識しておいた方がいいかもしれない。

…ってそんなこと言ってる僕自身が、
CMを考える仕事をしてるわけだから、
どうにも資本主義の構造から逃れるのは
なかなかにむずかしいものなのである(笑)