未来のオトナ育て 学び舎の青山です
親子の勉強ワークショップを開きました。
このワークの様子をお伝えしますね。
■まず、子どもさんと一緒に勉強します。
その様子を、学習の指導をしながら観察します。
■子どもさんの困っていることを、見つけます。
目の動き、手の使い方、姿勢
受け答えなどなど、子どもさんのとやり取りのすべてを分析します。
結構細かく、見ますのでかなりの確率で
その子どもさんの個性をみます
■参加された子どもさんのお母さんに具体的にあ伝えします。
現状、困っていること、学校の様子 しないほうがいいこと
やったほうがいいこと
声のかけ方などなど、具体的に 今の子どもさんと、これまでもこれからも変わらない
子どもさんの特性についてお話ししました。
この内容、結構深く内容が充実しているため、今後は5人までのグループで行うか、
個別のカウンセリングという形で
親子を対象に行っていくかもしれません。
かなり効果があります。
参加されたお母さんたちから、たくさんの感想をいただいています。
ありがとうございます。
年内は、開催の予定はありませんが、
個別でしたらお受けできると思います。
以上
勉強のワーク”子どものやる気スイッチの押し方講座”を
出雲で開催したため、松江まで、運転しながら今日の状況を振り返り、
どうしたらよいのかどうするのかを考えていました。
ある参加者のお母さんから、
「子どもの字が汚くて…」というお話を聞きました。
子どもの学習あるあるですね。
子どもの字が汚くて何度も書き直しをさせる話
みなさん”あるある”ではないですか?
あまりに汚くて
ついイラッとしてせっかく子どもが書いたものを
全部消したりしてみて…
しかも怒り口調で
「もう一回やり直し」なんて言ったりして。
わたしもありました。はい…
言いたくなります。「なにその字?!」っていっちゃって
字の綺麗な子をみて「なんでうちの子は…」と
字が汚い子は、わりと男の子が多いような気がします
字を綺麗に書くこととか…って、なぜか親もこだわってみたりして
学校も結構うるさく言う。
なぜうるさくいうかって理由はいろいろあるんです。
字が読み返しにくい、計算の時に自分の字がわからなくて計算ミスする
まあ、一番は自分が困るということが一番かもしれませんが
それでも大人の都合 のような気がします
字汚くて恥ずかしい思いをするのは本人なんですから
ほっとけばいいんです
とは、言いすぎですが…
字も計算と一緒で
わかりやすいから
評価も簡単にしやすいのですよね
そして
字が綺麗=勉強ができる
計算ができる=勉強ができる
という、勝手に字がきれいだと勉強ができるイメージがあります
が、
イメージですから(≧∇≦)
字が汚くても、かしこい子どもさんいっぱいいますし
字が綺麗でも勉強まぁまぁなこといます。
しかし、手で書くということが苦手なだけで、
その子は勉強はできないわけでもなく、
意欲がないわけでもないんです。
ここ大事ですよ
字が汚いと勉強に対する意欲は
比例ではありませんから
ただ、字を書くことが億劫なだけなんです
いや、正確にいうと
子どもの周りが億劫にしてしまったんですよ。
『字が汚い!丁寧に書きなさい!もっとまっすぐ!もっと小さく!もっと大きく!』と
小学校低学年で言われ続けたらそりゃあ
嫌いになります 必ず!
それを言われ続けて
字を書くことが好きになる子って いるでしょうかね(o^^o)
小学校低学年って、まだまだ、
学校って楽しいなみんなと一緒に勉強楽しいなって
思ってるだけでオッケーだとおもんだよね。
だからといって遊びだけはダメだけどさ。
勉強って楽しいなっていうことでオッケーなんです!
小学校時代は‼
書写コンクールや硬筆コンクールの時期になると、
そのために、
全学年書写や硬筆
で、うまく書かせるためにめっちゃダメ出しをする
しかも!この時期だけ
きちんとかかせたいならば 週一で 書写をやればいいのに(≧∇≦)
で、たまにしか指導しないのに
めっちゃ厳しくやってあげるんだよ
しかも、地域の方がこられたり
書写の先生が・・・
もう、やめたらいいのに。
書写も硬筆も絵画コンクールもなにもかも
やめたらいいのに
あれってなんとか協会とか、
意味もなく協力してるだけでしょ〜
なんか、意味があるかなぁ
思い出した! 夏休みの宿題の
読書感想文も貯金箱も工作も
農業に関する絵も税金に関する絵も
水資源などなど、それらに関する課題も全て、
某なんとか協会とか農業団体とかの企業の啓発という
自己満足のためにやらされてるだけですから
学校もやめたらいいのに
そしたらみんなが、
絵がうまいとか下手とかなんか
評価しなくていいところで 評価されてさ
で、できない子はいやになっていく
夏休みの宿題やりなさいて
夏休みの親子関係が悪化する
ますます勉強も課題をすることも嫌になる
だいたい、親がやってるんだってば
夏休みは全力で遊べばいい
あ!一応、少しは勉強はしておこう
立場上言っておきます
理科の科学実験のいつも金賞を取る子
お母さんお父さんがいつも必死でやってますから 笑
誰の課題なの?って感じです
話がそれました
字の話でした。
親は、できない自分のことを棚に上げて
できないと思い込まされてる子どもを責める
やめやめー
評価する必要ない
美術や音楽のところを評価するならば、
評する視点を子ども達にちゃんと教えてよ〜
読書感想文なんて、書き方とか習ってないのに
評価するって… 変じゃない?
評価するならとりあえずみんなにおしえようか
でも その評価いりませんからぁー
うちの子も、字が雑で 小1の時に
先生から書きの学習障害を疑われたけど、
今、すっごくきれいにきちんとかけているの大丈夫ですから
今思えば、1年生ですからぁ〜(≧∇≦)まだまだまだ、
伸びしろの方が圧倒的に有り余ってるお年頃ですから!
10歳、いや小学生までのところでは、
1、2年の成長のギャップは当たり前よ
できることとできないことの差は
大きくて当たり前当たり前だし
むしろできることとできないことがあって
当然なことなんですよ
みんなみんなみーんな
字を書くことに対しての自己肯定感が低いことで、
学習全体に自己肯定感がなくなっていく方が
コワイと思いませんか?
その方がコワイですよね。
今は、ほとんどパソコンですしね
それに、インクルーシブ教育という
取り組みもこれからどんどん
学校現場に導入されていけば…
まぁ、でも、島根はすっごい遅れてる!
遅れてる!遅れてるので
学校の先生がたが対応する頃にはきっと今の子どもたちは
大人になっているかもしれませんね〜
字が汚くて〜〜 と嘆いている保護者の方々
これは、親の忍耐です
見守りましょう
そして、しからずに、
うまい字だけを褒めましょう
汚くて、不満でしたら スルーしましょう
宿題をやったことだけを 褒めましょう
「宿題ちゃんとやったんだ」
評価はしない
そして、言いたいことはがまんです!
綺麗にかけている字が、奇跡的にあった場合…
褒める!「 この字、うまいじゃーん♪見直したぁ いい字だね」って
それだけで”おっけー”
評価するのは 先生です
先生から叱られ親からもいわれたらねぇ
いやよね…きっと
他の教科もちゃんとできてるし
私の質問にも確実に答えられる
耳から入った情報で指示が通る
なんて素晴らしい!
わたしには、とってもすごい子にしか見えなかったのです
お母さんの思い悩む 子どもの評価は、
学校からみた評価ですから
学校からみた評価が 人生のすべてであり、
最高の評価機関ではないんだ!って 思おう
なかなか、おもいにくいですが…
すでに世の中の大半は
学校の評価が全てだという
この考え方に洗脳されてますからね
学校は、広い社会の中の 一部
一部なんですよ ちっさいちっさい世界なんですよぉ
井の中の蛙大海を知らずの 井の方なんですよ
そして、この日本も井 なんですよ〜
しかも、閉鎖的な 社会だしね
学校を 小さな社会だといいますが…
価値が偏った世界だよ
四角のものは四角でないといけない社会です
そうでないと、指導がしにくいからです
子どもはみんな平均的でないと 指導しにくいんです
実際そうですもん
塾でもそうですからね
でも うちは 平均化しません
だって、学校じゃないし
それぞれでいいんだってことを
思い知らせるための異年齢塾なんですよね
話しが随分とそれました
でも、学校によって差があるんです
しかも、先生によってころころかわります
特に、校長先生によってこれまた変わるんです
それともう1つ
学校で優秀なやつが 社会で優秀というではない
学校での成績がいいやつが
実生活の常識を知らなすぎ〜〜と思うこと
山のようにあります
勉強はできても、
思いやりがなかったり自己中心的だったり
勉強できないやつを馬鹿にしたり
学校名で人を評価したりするのも 見てきた
学校の先生たちだって知らないこといっぱいありますし、
むしろ一般社会のことは親のほうが知識豊富だったりします
人は、それぞれに得意分野があって
できないこともできることもいっぱいあるんです
できないことにフォーカスしすぎると
自己肯定感ががくーんと 落ちてしまうんですよ
ただ、残念かなぁと思うのは
先生たちの評価する視点が
じつは子どもの可能性を潰しているかもしれないと
思えることを よく聞くなぁ
普通の先生たちが
天才な子どもたちの能力を 潰しているかもしれない
これ最近思うんだよなぁ
普通の先生 これポイント
自分は、普通と思ってなくとも
普通 子どもに対して、なんと障がいの疑いがありますからって
軽くいっちゃうとかが、
大天才で、可能性のある 子どもを理解できずに 潰す残念なパターン
あるあるだとおもう
それに親が同調して
一緒になって潰しているかもしれない
不安ゆえに
学校の先生たちの学力を超える子どもを出すためには
先生の価値観や学力だけでは きっとダメだよね〜って
思うときがある
普通の先生を超えらんねぇ〜〜 みたいな。
学力を考えるときに いろいろ考える
人は、経験したことしかわからないならば…
そういうことじゃない?
あえてこれ以上書かないけれど。
島根の学力を今よりも 超えるためには、 島根の先生以上の先生が必要じゃない?って (≧∇≦) いやな言い方だけど そうなのかもなぁって
その、採用する先生たちの学力も影響するんじゃない?とかね 考える。 それこそ、出身大学によって能力は違うんじゃない?ってそしたらさぁ、島根の学力をもっと上げるには、今の出身大学のレベルを上げるとかさ〜っていう 単純な話にもなるわけですよ これって、勉強できる奴がすごくて、とか学校で教える価値観にのったらそれだよね。
学力あげたかったら 学力高い大学出身者の教員をもっと増やせ的な感じ?
またまた話が大幅に増えた。
子どもってすげーって思わされて
いつもその可能性に打ちひしがられる この小さい人の、
どこをくすぐってやろうかと どの部分が面白いポイントなのかと
考える そんなことしかできないから。
そう思うと
子どもたちのまだ10年未満の経験値などは
どうとでもなるんだよね。
せめて親だけでもそう思おう
受験などのイベントで そうも思えなくなるけれど
人生取り返しのつかないことなんて
ひとを殺めてしまうこと以外はないのかもしれない
あるかな?
ほかに…
受験や就職、仕事でうまくいかなくて
自分を殺めてしまう子どもにしないために
視野を広く、 価値を広く持てるひとを
私たち母親は育てていこう
何度でもやり直せばいいしね
切り替えていこー!
折れない子どもたちを育てよう