多くの出会いと別れ | 塾 岩出・紀の川で学習塾・進学塾をお探しのあなたへ

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■2023年度合格実績■
桐蔭5名向陽2名開智7名信愛3名那賀7名粉河5名北1名笠田1名市和1名羽衣1名近泉1名初橋8名浪商1名和高専1名
和歌山大1名立命館大1名関西大1名関西外大1名宝塚医療1名和県看1名野上1名
和大附中1名近大和中2名奈良智辯1名

年に一回必ず、授業では生徒に、

また保護者セミナーやガイダンスなどで

保護者の方々に次のような話をします。


人は生きている時間が長ければ長いほど、多くの出会いと別れを繰り返します。
こんなわたしにもたくさんの出会いと別れがありました。

特に、身近な人との別れは多くの感情と心の持ち方を私に教えてくれました。



19歳の時、ひとつ上の先輩を亡くします。


有る日突然でした。夜寝て、朝に起きてこなかった。そう聞いてます。
昨日までいた先輩が、もういないのはなかなか実感できなかった。



20歳の時、父親を亡くします。


小学校の時に離婚した両親。一緒にいる時間はほとんどなく、

またあまり好きではなかった父親。ニューヨークまで遺骨を拾いに立ちました。
その回のニューヨークへの出発前、一緒に酒を飲みました。それが最初で最後となりました。


ニューヨークのおじさんから聞きます。


「忠彦。お父さんは死ぬ間際まで、忠彦のことを心配してたぞ。」
「今までも。高校は、大学は、就職はどうなるかな・・」
「お姉ちゃんよりも、お前のことが心配でしかたなかったようだぞ」
その時、初めて「親父、ごめん」と心の中で伝えました。



30歳で親友を亡くしました。自殺でした。


つい先日に、電話で「また、年末年始にマージャンでもしようぜ」これが、最後の電話でした。

クリスマスの夜でした。おばあちゃん子だった彼は、その年亡くなったおばあちゃんの後を追うかのように、そのマンションから飛び降りました。


私は、もっと何か話ができたんじゃないか悔みました。
俺があいつを殺したんじゃないか、悔みました。
なにか、相談したかったんじゃないか・・・。



阪神淡路大震災で、後輩と義理の母を亡くしました。


震災で、アパートは完全に倒壊。下敷きになったそうです。
人の運命ってなんだろうと考えました。


「義理の母」は家のお風呂で心臓発作でなくなりました。
家族は深い悲しみに落ち、そんな近くで、なくなること。


言葉にはできないものが胸につまります。
生きることってなんだとうか。死ぬことってなんだろうか。


悩みました。どんな人でも、昨日まで近くで笑っていた人が、今日いない。
生きることが嫌になった時もありました。


でも、最終的にいきついた答えは「ちゃんと生きよう」でした。


それまで、いい加減に生きてきた自分。死にたくないのに死んだ人たち。


生きているのに死んだような人間にはならないでおこう。
彼らの分までもなんておこがましいですが、まずは、しっかりと生きよう。

そう考えるようになりました。



4年前、初めて教え子を亡くしました。


若い子が親よりも早く死ぬ。しかも突然に事故で。
彼だけは、これからも一生、受験させてやることはできない。
だから、その分、今ここでかかわるすべての子供たちには、悔いの残らない中学、高校時代を過ごしてほしい、その手伝いができるなら。そんな想いです。


みんなも、最終的に私が言いたいことは、伝えたいことは「生きろ」です。