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「考える。考えない。」
今、小学校では、どのような授業が行われているのでしょうか。
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♥一般的に理想と思われている授業
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先生が板書をする。
それを子どもたちがノートに書き写す。
板書が終わると、先生がその内容について説明をする。
子どもたちは、説明をじっと聞く。
時おり、先生が質問する。
子どもたちが手を挙げる。
指名された子どもは、先生に答えを返す。
先生は「わかったね」と褒める。
子どもたちは「ハイ」と応える。
そして、今習った方法の練習問題に取り組む。
同じような練習問題やドリルが宿題に出されます。
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♥理想の授業を求めて
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理想の授業を求め、授業前にはしっかりと準備されています。
どうすれば、わかりやすく説明できるかを考え抜かれています。
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♥ “わかりやすく教える”ため
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“わかりやすい”ことを目標とします。
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最近では小学校の授業でもPowerPointなどで作ったスライドを使い、よりビジュアルにわかりやすく解説したり、スライドの一部にはビデオが使ったりされます。
至れり尽くせり、あの手この手を使って、何とか子どもたちにわかってもらえしていますしています。
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先生は授業中にたくさん話します。
最初から最後まで淀みなく、先生が話をして終わる授業が理想になります。
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♥授業の目安
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自分の授業がうまくいっているかどうかの目安の一つが、子どもたちのうなずきです。
子どもたちが自分の話を興味津々に聞いていること、聞いた内容を理解していること
を測るバロメーターが、子どものうなずきなのです。
教えたばかりの内容を定着させるための練習問題の結果も重要な指標です。
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♥先生に求められる“効率よく” が、より“わかりやすく”に
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先生たちは、こうした授業を限られた時間の中でこなさなければなりません。
以前の“ゆとり教育”の反動や大学入試改革で、教えるべき内容が増えています。
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先生には“わかりやすく”教えることに加えて、“効率よく”教えることも求められているのです。
じっくりと時間をかけて教えたりしていては、一年間で教えるべき内容を消化しきれない恐れがあります。
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だから、さらにわかりやすさを重視されます。
つかえたり、ひっかかったりしていては、なかなか前に進むことができないために、子どもたちが聞いた瞬間にわかるレベルまで噛み砕いて説明する。
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わかりやすさのレベルは、
理解力のある子どもを基準とするのではなく、学力的に平均の少し下ぐらいの子どもたちを対象にすると思います。
その方が、全員がより理解しやすくなるからです。
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次に、これまで日本の教育が歩んできた歴史をみていきます。
♥江戸時代の教育
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江戸時代、子どもたちに行われていた教育といえば、寺子屋での“読み・書き・そろばん”、例えば『論語』などの漢文を素読みし、書道を習い、そろばんの練習をするといったものです。
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当時の社会では、何かにつけて証文を書いていました。
商売上の取り引き状、何かトラブルがあった時の詫び状など。
それらの書面を理解したり、自分で作ったりするためには読む力と書く力が必要でした。
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また、江戸時代の通貨には金貨や銀貨が使われていました。
同じ金貨でも慶長小判と元禄小判では、その価値が微妙に違うため、これらを交換する際には煩雑な計算をする必要があり、
しかも、元禄時代には幕府が金1両を銀60目に相当すると定めるなど、単位も10進法ではありませんでした。
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こういった複雑な貨幣体系で計算を間違わずに早く行うために、そろばんによる計算力が求められました。
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主体的に考えて学ぶことが中心でした。
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♥明治維新後の教育
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ところが明治維新を機に、日本の教育制度は一転します。
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“文明開化”と呼ばれるように、時の政府は西洋文明を可能な限り早く取り入れ、それを真似ることで、日本文明を開化させようと、
欧米の近代思想や科学技術を効率的に学ぶことが、最重要課題となったのです。
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♥明治24年の“小学校教則大綱”
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こうした考え方に基づき、明治24(1891)年に交付された“小学校教則大綱”には、算数について次のような一文があります。
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「算術ハ日常ノ計算ニ習熟セシメ、兼ネテ思想ヲ精密ニシ、傍ラ生業上有益ナル知識ヲ与フルヲ以テ要旨トス」
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ところが、実際には計算に習熟することと、知識を与えることはしっかり守られたものの、思想を精密にする目標は軽視されたようになってしまいました。
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♥思想の精密にする(考えること)目標は軽視された
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なぜなら、時の政府にとっては、西洋の優れた科学を子どもたちに学ばせることが最重要の課題でした。
これを、現場で子どもたちを教える教師は「いかに効率的に教えるか」と言うことになりました。
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できるだけ早く知識を定着させるためにはどうすればよいか。
疑問を持たないようにわかりやすく教えて、教えた内容を反復練習させることで、記憶に定着させる。つまり“暗記”を中心とした教育です。
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これに対して思想を精密にするためには、子どもたちにじっくりと考えさせる必要があります。
試行錯誤を重ねることで頭を使わせなければなりません。
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ところが、そんな悠長なことをしていては西洋諸国に追いつくことはできない。
このような強迫観念に、明治時代の教育関係者はとらわれていたようです。
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♥時間をかけずに効率的に“伝える場”に
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明治維新以来、基本的に日本の学校は、“何も知らない”子どもたちに、“知るべきこと”を教える、あるいは伝える場として機能してきたのです。
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同じ伝えるならできるだけ効率よく教える。
時間をかけずに効率的に教えるこの教育法が、その後、教育の中心になりました。
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♥知識では世界でトップレベルに、しかし、教える教育には限界が
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こうして効率的教育が追求されてきた結果、知識を効率的に教えるシステムとして日本の教育は、世界でもトップレベルに上り詰めました。
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ところが、このやり方には、深い思考力は必要ありません。
これが教える教育の限界です。
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確かに知識を教える技術は進化し、
その結果、日本の子どもたちの平均的な学力は、世界でもトップレベルに到達しています。
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けれども、そうした教育を受けた日本の子どもたちが大人になると、世界には太刀打ちできないのです。
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世界的な発明や、世の中を変えるような製品やビジネス、
例えばコンピュータやスマートフォン、あるいはインターネットを使った革新的なビジネスも、日本からは生まれてこなかったのです。
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♥まとめ。“考える力”を育てる
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効率を重視した、分かりやすい、教える教育は、知識をたくさん覚えるには有効かもしれません。
しかし、その知識を、生かし、創造的に活用するには、深く“考える力”が必要になります。
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だから、
教える教育から、
教えない、子どもと一緒に考える教育、子どもが自分で考える教育に転換していかなければいけないのではないでしょうか。
そして、考える力こそ、子どもの未来の可能性を拡げていくと思います。
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