心理的障壁。
外堀を自分で埋めちゃってませんか?
 
 
常識を疑おう
これはもうずっと
このブログで書き続けてきたこと。
 
 
ではこの常識って一体なんだろう
ということを深掘りしてみたいなと思うのです。
 
 
 
 
■常識って一体何?どういうこと?
 
常識って辞書的に考えたら
世間一般の暗黙の了解としてあるルールや
当然そうであると考えられるもの
 
だと思うんですね。
 
 
つまり、多くの人が考えること
 
 
私たちは社会の中で生きているので
多くの人が考えることを
自分自身も考えることができたり
選ぶことができるということは
とても必要なことだと思います。
 
 
ただ、自分の人生を決定づけるものに関しては
この常識というものが邪魔になってしまうんです。
 
 
常識とは時として、

自分が望む選択を阻む心理的障壁
 
になるんですね。
 
 
 
自分で選んでいるんだけど
実はいろいろな制約で
それを選ばざるを得ない
ことってけっこうあると思うんですよね。
 

結果的に
それを選ぶしかなかった
 

それって
自分の選択とは言えないですよね。
 
 
じわじわと
外堀から埋められていく感じ。
 
 
もちろん経済的な理由だったり
時間的な理由だったり
環境的な理由もあると思うのだけど
 
 
最も大きい制約は
実は、
 
 
知らず知らずのうちに
その選択肢しかない
そう思い込んでしまっている
 
あなたの心理状態なんです。
 
 
 
それを選ぶしかない
 
 
と思いながら実は
 
 
あなた自身が
 
それを選ぶと決めている
 
 
 
そんなの無理だという思考
 
それが常識に囚われている状態かな、と。
 

私が常識を疑おう
というのは、
 
その選択肢しかないなんてことはないよ
 
ってことに気づいてほしいってことなんです。
 
 
 
■非常識な選択ができない理由
 
 
常識の範囲におさまるというのは
ちょっと嫌な言い方をすると
 
妥協できてしまえる
諦めてしまえる
 
その程度のことだということ。
 
 
 
誰にでも“その程度のこと”ってあります。
だから妥協しても諦めてもいい。
本当に望むものが分かっているのなら。
 
 
逆に譲れないものであるなら
苦しみや苦労を引き受けてでも
困難な選択肢、非常識な選択肢を
堂々と選べばいい!
 
 
そう、きっと非常識な選択とは
痛みを伴う選択だということなんでしょうね。
 
 
 
不安や恐れは 手放せる! (5)

 

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