オブジェクト指向技術とは、コンピュータシステムを設計(つくる)上での方針のようなものである。

 

現実世界にあるものを抽象化し、モデル化する。

 

例えば、ある人が、リモコンでテレビの音量をあげることを考える。

 

人は、性別や年齢住所など個人情報をもつが、ここでは

テレビを視聴する存在 として、その働きを抽象化する。

 

リモコンやテレビにも電気回路や個々のネットワークをもつが、

それらもろもろをすべて捨象し、

 

人の意向を受けて、テレビに制御信号を送るのがリモコンであり、

受信した番組を受像機に写し、制御信号で指定された動作を行うのがテレビ

 

などととらえれば十分である。

 

こうして、ある人が、リモコンでテレビの音量をあげる

という目的が達成される。 

 

日常生活で人間が無意識に行っている認識プロセスである。

 

要するに、

 

 

臭いものにはふたをし、

ブラックボックスに入れて見えなくしよう という人間の心理である。

 

 

ところが、普段の生活ではこのように知恵を働かせ、無用な心配を省いても

 

人と接すると、あいつは使えないとか、自分に利益を与えそうだなどと

あたかもその人となりが見えた かのごとく計算をしていってしまう。

 

人間こそ、どこまでも無限の可能性を秘め、中身が見えないにも関わらず、

 

打算の付き合いをしてしまうのが人情なのだろうか。

 

 

 

コンピュータにデータを与えれば、100%期待された結果が返ってくる。計算機だからである。

人間にも役割が与えられ、その働きはaオブジェクト指向よろしく、ある程度の結果が期待される。

ところが、結果がいつも一定でなく、時にはマイナスなのが人間のようで、そのために

 

あいつはあれくらいの仕事量だろうなーと計算してしまうのかもしれない。

 

 

その人ならもっとできる

 

無償の信頼がなくなってしまった関係は、もはやコンピュータと同じなのではないのか。

 

打算によって人を見る人は、もはやコンピュータと同じようなもので、

人からもそのように扱われてしまわないだろうか。

 

そのように思うこの頃である。