私にとって心に深く訴えかける言葉があります。

 

 

優れた経営者とは、「悪いことができて、それをしない人間である」

 

 

 

刃とは、人に向ければ容易に人を殺めることができる、と同時に

人の人生を変えるほどの、光で満ちた料理を作ることができる。

 

 

科学には善悪はない。

問題なのは、それを用いる人間によって破壊か、創造かが分かれていく。

 

 

 

 

 

日本には原発がありますが、

原子爆弾をつくる材料を懐(ふところ)におさめているともとれる。

 

ですがあえてそれを作らない。

 

 

 

 

悪を知りながら、それに呑まれない

 

満ち足りた心

はるか遠くまで照らす知恵

矛盾を抱く強さ

 

それを備えているからだと思う。

 

 

 

 

 

 

光があたれば、影ができる。

 

 

 

 

 

上司から

君は優秀だねぇと言われ、褒められた心の裏側では

 

優秀でない人物が顕(あら)われ、自分はその人物にはなるまいと決める。

 

ここで世界が分かれる。

本来の自分から離れていく。

 

そうして次々に自分を半分に分けていき、ついには本当の自分がわからなくなる。

 

 

 

 

 

成長と成功を望む美しい姿の裏側では、”今の否定”がすでに始まっている。

 

幸せになりたい(今は幸せじゃない)

あれが欲しい(足りないよう。寂しいよう。)

 

これは言葉が世界を分ける”分節化”という働きを持つからだといわれる。

 

 

 

老子 第二章より

 

天下みな美の美たるを知るも、これ悪のみ。

みな善の善たるを知るも、これ不善(ふぜん)のみ。

故(まこと)に有と無相(あい)生じ、難と易相成り、

長と短相形(あらわ)れ、高と下相傾き、音と声相和し、前と後相随(したが)う。

 

 

ここを以(も)って聖人は、無為の事に処(お)り、不言(ふげん)の教えを行なう。

万物ここに作(おこ)るも而(しか)も辞(ことば)せず、生じるも而も有とせず、為すも而も恃(たの)まず、

功成るも而も居(お)らず。夫(そ)れ唯(た)だ居らず、ここを以って去らず。

 

 

言葉によって分かれた二つの世界をみつめること。

”こうあるべき”と誓ったときに隠れた、”あるがままの自分”を放さないでおくこと。

 

そうして、両面を把握したうえで自分の意志によって選べる余裕をもっておく。

 

人に対してもそう。

かくあるべしという教育は相手を分裂させ、苦しみをもたらす。

だから老子は不言の教えを行うい、言葉ではなく、

自分自ら、こうかな?と考えさせ教え導く。

 

功績を誇らず、自分が教えたという自覚も、その事実もない。

 

確かに教えは有るのに、自覚は無い。

 

 

善と悪の分かれる前の、

”かの一つ”を見つめましょう。

 

そうして、悪を知りながら、それをしない

 

という境地に至るのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

本日はここまで。

 

ありがとうございました。