いや、誰もダメとは言ってないです。
この言い方をしてみたかっただけなのです。
2022年1月の月9でドラマ化されることや、そもそも人気のある漫画であることから、この言い方だけで、なんのことか分かる方もいらっしゃると思います^ ^
松浦の大好きな漫画
元々はずっと電子書籍で読んでいたのですが、結局、単行本を買ってしまいました💦
主人公の久能整(くのう ととのう)が、いろんな事件に巻き込まれつつ、なんだかんだで解決していくのですが、ストーリーの合間合間、結構な頻度で、整くんが語る語る^ ^
整くんが語ることで、物語が進んでいく漫画なのです。
整くんは、ちょっと変わった(と言われる)大学生。
色々なことが起きるたび、関連して、自分が思っていたことを語り始めます。
彼が語る内容は
世の中そういうものだと、考えるのをやめたこと
ちょっと目を逸らしていたこと
なるほど、確かに!なこと
ほんと、そうだよな…なこと
ばかりなんです。
それを「常々思ってたんですけど…」なんて語り出されることで、漫画を読んでいる私自身の目の前につきつけられるというか、向き合わされると言うか。
(良い意味で)揺さぶられます。
***
以前、この記事の最後に、
【我が子にずばんと核心をつくコメントをもらった母。その話は、また今度。(続くのかしら!?)】なんて書きました。
その頃、私は縁あって、某高校で国語の非常勤講師をしていました。
久しぶりの教科指導。そして高校生。
お引き受けした以上は、自分にできることを一生懸命しようという気持ちでいたのではありますが、教科指導の専門家である高校の先生方に比べたら、専門知識も経験値も何もかもが足りていません。
その足りない部分をどうやって埋めていけばいいのかな…せめて国語の時間を楽しんでくれるといいな…と毎回、試行錯誤しておりました。
そんな思いをぽろっと我が子に伝えたところ、次のような内容のコメントが。
(【我が子にずばんと核心をつくコメントをもらった母。】の、コメントです)
「国語を面白く思ってほしいなんて、思い上がりだと思う。」
「面白いと思うかどうかは、生徒自身が決めること。」
「国語を嫌いな生徒がいても、いいはずだ。」
「教師としてわかりやすく伝える工夫はすべきだけれど、国語を好きにならせようとかいうのは違うと思う。」
うーん。厳しい。
「好きにならせよう」などと決して思っていたわけではないのですが、「いい先生と思われたい」「失敗したくない」「任せられた仕事をうまく終わらせたい」みたいな気持ちが滲み出ていたのかもしれません^^;
我が子からのコメントを受けてキュッと身が引き締まり、「自分が任されている仕事」が何なのか、改めて考えるきっかけとなりました。
***
我が子からの厳しいコメントを聞いてすぐに思い出したのが、最初にご紹介した「ミステリと言う勿れ」でした。
4巻あたりにマルクス・アウレーリウスの「自省録」が鍵となるお話があり、整くんが「自省録」のとあるページを読んでいる場面で、次のような言葉が引用されていました。
「何かするとき いやいやながらするな、
利己的な気持ちから するな、
(中略)
君の考えを 美辞麗句で 飾り立てるな。
余計な言葉や おこないを つつしめ。」
「ミステリと言う勿れ」では、⇧⇧この本(の訳)からの引用になっていました。
今の迷いや試行錯誤は、「自分のため」な部分があるからなのだな。
自分のできることを、自分のもっている力で、自分と生徒にとってそれぞれ余計なものと必要なものを見分けながら、シンプルに全うすればいいのかも。
と、【我が子の言葉】と【ミステリと言う勿れ】から気付かされたのであります。
その後、しばらくたってから我が子に、⇧⇧ここまで⇧⇧の内容を伝え、密かに買いなおしていた単行本を手渡したのでありました。
このページのこの言葉と同じようなことを言われてハッとしたよ、という言葉を添えて。
我が子は興味津々で一気読み。
しばらく我が家では「常々思っていたんだけど…」で語り始めることが流行りました
また、事件や整くんが語る内容について、お互いの考えを言い合ったりもして、母的にはとても楽しい時間を過ごすことができました。
我が子と【同じ楽しみ】をもてること、そして【同じ立場で楽しめること】が何よりも嬉しい母なのでありました^ ^
「自省録」も調子に乗って買ってみたのですが、難解な文章が多く、ちっとも読み進めません。
漫画の中で整くんが紹介してくれるくらいが、私にはちょうど良い感じ。
「ミステリと言う勿れ」を読まなければ、きっと知ることのなかった「自省録」。
なので、やっぱり整くんに感謝なのです。
「ミステリと言う勿れ」も「自省録」も、手にとってみたい方は、ぽっとにお越しの際にお声がけくださいね