三たび三陸 その八 | 学びをつくる会世話人リレーブログ

三たび三陸 その八

  宮城県立気仙沼向洋高校
 本吉の北はずれの東に岩井岬の小さな半島がある。この付け根部分も両方から浸水しているようで、行ってみた。大きな工場が幾つか稼働している間に、遠くから白い立派な建物が見えて、学校らしい。人っ子一人いない道を入っていくと、土台周囲が深くえぐられて水溜りになっている。3階建ての2階まであちこち壊れているが、壁面は白く輝いてきれいだ。漁業関係の実習棟と教室棟の間にはありとあらゆる残骸が、窓枠やら車やらボートやら箪笥やら絨毯やら、積み重なって詰め込まれたように残っている。えぐられた水溜りに突き出た危なっかしい板を渡って誰もいない校内に入ってみると、「進路指導の理論」とか「学校五日制読本」とかの本が積み重なってほかの残骸の中で固まっていた。色新しい表紙が陽に光っている。部分的にきれいでも、おそらくもう使えないで取り壊すことになるだろう校舎は、白さを誇るように輝いている。2年の時間がいれ混じって留まっているような感じになる。
 表側に回り込んでみると、「仙台藩直営御塩場」の石碑が倒れていた。この門前の道一つはさんで、巨大なタンクを二つもった工場が白煙を上げて盛大に操業しているのが、やりきれない対比と映った。近くの浜辺の痛まずに残った低い防波堤には、拾い集められたらしい墓石がずらっと並べてきれいに置かれていた。


  岩井崎海岸
 さぞかしいい眺めだったろうと思わせる松林と岩礁の海岸が僅かを残してほとんど抉り取られ波が寄せている。そこに写真入りの大きな説明板が立っていた。しかつめらしく、もっともらしい説明は、要するに、防潮堤と海岸林を作るということだった。
 その中で目に付いた3つのことがある。一つは防潮堤で「頻度の高い津波および高潮への対策」といっている。頻度の高い津波とは「最大クラスの津波に比べて発生頻度の高い(数十年~百数十年に1度)」の注がある。確かにこういう方向が論議されているとは新聞などで知っていたが、すでに林野庁直轄ではじまっているのだった。
 もう一つは、堤体の高さと傾斜の設計だった。過去の津波の痕跡高さと可能性の高い津波のシミュレーションから、予想をTP+8.8として余裕1mを加え、本体高さTP+9.8としている。これは、つい最近の最大想定にあっているのだろうか。また、図によると、海側が60度陸側が45度の傾斜にするようだが、これが工学の最高結論なのだろうか。別の地域(七ヶ浜など)の設計では角度が違っていたが、これらの決定はどうなっているのだろう。(TPも別の欄に注があって、東京湾平均海面となっている。つまり、TP+はいわゆる海抜のことだ。)
 3つめは、岩井海岸の西の端から東の端近くまでほとんどすべてを延々とこれで覆うことが図示されていた。どこでも防潮堤について尋ねると、答えは決まっていた。海が見えないのは浜の生活ではないと、また海が見えないと津波に気づかなくなってかえって危険だと。説明には、ここで目にする見たままの写真に堤防高さを点線で入れた写真が添えられていた。残っている松林の幹の半分ほどまでが隠れることになる。