「事実と真実」
賢くなければ戦争に反対できない。自衛戦争はよい、としたら、全てそうなる。「真実」とはそういうものか。軍部の内部の事実や真実は戦後明らかになったこと。だからたとえば今政府部内で起きている事実や真実は「知らない」と反対できないことになる。なんでこう考えるかというと、箕輪登防衛元政務次官訴訟を読んでみましょう。そこにあるのは根っからの自民党保守タカ派であり続けた彼が自衛隊のイラク派遣は小泉君間違ってる!となぜ言うに至ったかである。
わからないから反対できない、もっと勉強してからでないと、ということは、ホームレスの一票と障がい者の一票と学習した賢い者の一票は重さが違うという愚民観につながるのではないか。だから敢えて言うのだ。なぜ殺してはいけないのか言え、ではなく。なぜ殺していい命があるのかを言えと。挙証責任は殺す側にある。改めて昨日、撫順の奇跡を受け継ぐ会のじいちゃんの中国での民衆殺しの体験と収容では全員が死刑にならなかったことの重みを問うていた。生きて虜囚の辱めを受けぬ、とはなんて勝手な言い分か。生きているという事実が真実を語る。仕方ない戦争なんてない。歴史にifを持ち込ませないことと、だからしかたなかったと言う理由でやめずに侵略と一般人を殺戮に巻き込んだ「責任」はどうするのかということだ。やめることをしなかった戦争はどうなってんだ!という情念が原点だと思うんだけど。もちろん忠魂碑の授業なんか作ってるけど・・・。