みなさまこんにちは。

A-sammyです。

 

 

小さいころ、母方の親戚から

とってもかわいがってもらって育ちました。

 

 

子どもは私と妹の二人だけだったので

おばあちゃんからも、おじさんからも、あばさんからも

とてもめんこがられました。

※東北の方言で「かわいい」という意味

 

 

わたしもその家で過ごすこと、

家族と一緒にいることが大好きで

 

 

大人になってからも、仕事の合間を縫って

高齢のおばあちゃんの身の回りのことをしたり

病気をしていたおじさんのサポートをしていました。

 

 

とっても大好きな家族なので

そばにいて、できることはしてあげたいと

思っていたからです。

 

 

ただ、ひとつだけ

ずっと違和感を感じていたけど

見ないようにしていた、

気づかないようにしていたことがありました。

 

 

それは、会話の端々に

「よその人から、笑われる」

「よその人からみたら、たいしたことない」

「よその人からしたら、はずかしい」

「よその人に、迷惑がかかる」

 

 

という他人軸の言葉があふれていたことです。

 

 

いまでこそ自分軸とか、自分らしさを大切にしたいと

思うようになれましたが

 

 

長年、他人軸を大切にする環境だったので

「よその人」目線は、疑いようもなく

揺るがない価値観として、家族の中にありました。

 

 

身なりや行動、態度

日常生活のささいなことから

やってみたいことなど

 

 

全てのことにおいて

「よその人はどう思うかな?」基準が

採用されていたのでした。

 

 

「よその人」目線での会話がはじまると

それまで居心地のよかった場の雰囲気が

一気に険悪になっていくのを感じました。

 

 

会話の着地点は

「どうせ、おらんどは、こんなもんでいいんだ」

※東北地方の方言で「自分たちは」という意味

 

 

言い合いになって、けんかになって

子どもの私は息をひそめるように

だまってその場にいたこともありました。

 

 

大好きな家族が「よその人」目線の話が始まると

とたんに仲が悪くなるような気がして

HSPのわたしにとっては、それがとても苦しい時間で。

 

 

何とか、仲良くなってほしい。

楽しい話しようよ。

みんなで笑っていようよ。

 

 

そんな風に思っても、

小さい私にはどうすることもできず。

子どもながらに、自分は役立たずだなって、思っていました。

 

 

 

のちに結婚して、

これまで自分が育ってきた環境から

少し違う立ち位置に代わり

自分の家族を振り返ったときに

 

 

ものすごく衝撃を受けました。

 

 

他人軸しか知らなかった私が

はじめて自分軸と出会った瞬間だったのかもしれません。

 

 

そこから、心のことを学んだり

学びの場でいろいろな交流をしていくうちに

 

 

「自分はどう思う?」

「自分が大切にしたいことは?」

「自分は本当はどうしたい?」

 

 

と、自分に問いかけることができるようになっていきました。

 

 

他人軸も自分軸も

そこに良い、悪いはなくて

その時に選択する理由や状況も様々あることも分かります。

 

 

女手一つで3人の子供を育て

人様に迷惑をかけないように、

よその人に恥ずかしくないようにと

 

 

長年、精一杯、家庭を守り家族を支えてきた

おばあちゃんにとって

「よその人」目線は

きっとものすごく大切な価値基準だったと思います。

 

 

「よその人」という思いこそが

モチベーションとなり、糧となり

これまで歩んできたおばあちゃんに

私は尊敬と感謝の気持ちでいっぱいです。

あばあちゃん大好き♡もちろん自慢のおばあちゃんです

 

 

そして、いま私は

よその人にはずかしくないくらい

自分軸を大切にした人生を送りたいと思っています。

 

 

ここまでお読みいただきありがとうございました。

いつもありがとうございます。

あなたらしさをはぐくみ

なりたいを叶えていけますように。