「口伝」というと 古事記を編纂した 稗田阿礼を思い浮かべるでしょうか。

 

口伝えで芸道や密教の奥儀や秘儀を伝承する、という

個体間での継承方法のお話ではなく、

真智へのアクセスコードを拝受する形としての口伝についてのお話です。

 

 

 

読まずに本の内容を(波動として)把握してしまう方、

景色や文書を写真のように記憶したり、寸分の狂いなく再現してしまえる方など

肉体の目、耳、脳の記憶だけでなく プラスアルファーの機能を使っておられる方も多いです。

そちらは 身体と内的意識の融合によって 神経回路がひらき

内的意識の情報が 肉体感覚、表面意識にわかるように翻訳・認知される状態にあるということです。

また そこがひらいていることを正直に告げる方も多いです。

 

 

 

ところが 口伝の回路がひらいている方は、秘匿します。

私は 使徒ヨハネもその人ではなかったか、と思います。

12使徒の中で一番おまめさんで 唯一殉教せず、長生きしました。

なぜなら アリマタヤのヨセフの助けを借りて

西洋にホスピタリティーの基礎を広めていったからです。

ご参考までに :  聖杯①  聖杯②  聖杯③  聖杯④  聖杯⑤

 

逆に 新約聖書が口伝(口伝え)を編纂したものである、というのが面白いですね。

 

 

 

全くの余談ですが 27歳の時に稗田阿礼のご子孫の方にお逢いしています。

そして当時その方の部下の女性がまるでスジャータのような方でした。

力まず 普通で くつろいだ健康的な若い女性だったのですが

あるがままが恩寵という姿に 当時の仏陀は大いに感応を受けたのかもしれませんね。