本日、両国 第一ホテルで開催の ウエサクグランドセレモニーに参加致します。

今回で 4度目の参加になります。

 

ヤンタラ・ジローさんと参加者の皆様で

マントラ(真言)やスートラ(経文)で 1日かけて場を整え

夜のグランドセレモニーにて アストラル・ジャーニーにてウエサク・バレーへ向かいます。

この日 世界各地からのアストラル参加者でウエサク・バレーは溢れます。

たくさんのマスターたちに会い、今後一年の自分のヴィジョンを誓願し、

マスターたちからの祝福と、お釈迦さまから聖水を頭頂にいただきます。(灌頂)

 

 

 

 

本日 個人的に誓願するヴィジョンと関わる

この数日 以前から抱いていた疑問の霧がスッと晴れた感がありまして

覚書として 残しておきます。

 

 

20歳の時(30年前)に 原始仏教を基軸に多様な宗教&哲学のエッセンスを学ぶ、

啓蒙団体に所属して居りました。

その団体の教学で 「悪行から悔い改め、仏陀に帰依させたとっておきの例」として

講師によって アングリマーラの話が熱く語られます。

 

アングリマーラの話は 初めて聞くのに

なぜかわからず 嗚咽を伴う号泣をしてしまいます。

 

 

数年前に OSHOの講話でアングリマーラに触れた記事を読みました。

アングリマーラは仏陀に出会い、殺人をやめて仏陀に帰依し、出家したものの

托鉢に行っても 今迄の悪行から迫害に遭うことを耐えねばなりませんでした。

 

また 難産で苦しんでいる女性になす術もなく帰って、仏陀にどのようにすればよいか尋ねると

「私は一度も人を殺めたことはない、その徳によって母子は安全に出産できるだろう」

と言うように言われます。

 

たくさんの殺人を犯して来た自分が、「一度も殺めたことがない」などと嘘を言ってよいのか?

殺人者である私は、いくら悔い改めたとはいえ、そんな功徳はないのではないか?

と悶々と苦しみます。

改心後も 得度には段階があるのですね。

 

そこで 自責の念に悶絶するアングリマーラに廻向したのが

文殊菩薩だと OSHOが語っています。

現象界で犯した殺人が まったくなかったことに消されるわけではありません。

行為や記憶の奥にある、自身の神聖なエネルギーはひとつも犯されていないこと

極性の極みを味わった後も、自身の奥深くに在る意識の芯に触れる

アングリマーラを 本名のアヒンサ(非暴力)に彼岸させたのが文殊菩薩だと。

その後難産の母親の元へ赴き、仏陀の言う通りに伝えると安産となったそうです。

 

 

 

仏陀の脇侍である 虚空蔵菩薩と文殊菩薩。

ここからは 私の私見なのですが

脇侍-僧団のなかで仏陀に追随する受肉した高僧としてではなく

意識体としての存在を。

 

虚空蔵菩薩と文殊菩薩という2体が在るのではなく、

磁石のS極、N極のように 一体であるものの両側面かと。

虚空蔵は真アカシック(個体の認知に依存しない絶対真実・100%確信波動)

文殊は臨床知(極性やエントロピーの坩堝にあっても、中庸へ振り戻せる叡智)

虚空蔵(観自在) ∞ 文殊(観世音)

 

虚空蔵領域に 100%確信波動を上納できると バタフライ・エフェクトが起こるのかな?

自分に内在する真智にアクセスできると 廻向力が高まるのかな?

そんな ワクワクを胸に

 

今晩、ウエサクバレーで お逢いしましょう。