伝わらないこと

何度か経験あると思います。

何度話しても、何度伝えても響かないこと。けど同じ話を繰り返す。

このなんとも言えない無限ループ。

けど、きっとどこかで答えは持っているんですよね。こういう時。

分からないふりをしていたり、

認めたくなかったり、

違うよって言って欲しかったり。はたまた、間違ってるのが分かってて

間違ってないよ。と同調を求めていたり。(うん。うん。)

自分で書きながら納得。。。

 

でもそこで本当の答え、

正論を伝えるのか

同調してあげるのか

思いを汲んであげるのか

 

あげるって言葉使ってる時点でかなりの上から目線だけど。

 

けど、本人は絶対に気づいている。あなたなら私の意見どれを拾うの?

ホントに私のこと考えてくれてる?ってきかれているみたいに。

 

だから、同調をしつつこんな風にかんがえてみたら?とか

集中してる思考の目線を違う方向に向けて客観的に見てもらうように話してみたり

 

けどやっぱり、欲しい答えを言わない限りずっと同じ質問が続きます。

じゃあ、ずばりこうしたら。。。って言っちゃおうか?って

 

本当に伝わらない。

聞いてくる人もきっと、この人分かってくれない。と

思っているでしょう。本当に伝わらない。

 

 

 だからって

相手を思うからこそとかっていいながら

そこに嫉妬、ねたみ、そねみが生まれてたしたら

真逆の答えを言いたくなるかもしれない。

 

それだけはしない。してはいけない。と決めてます。

 

相手の求めている答えをそのままは言いたくない。

もちろん、正解だと自分もそう思うんだと確信があるときは同じ意見だと伝えます。

私なりのその答えの導き方を相手に伝えながら、真剣にその問題に自分自身も投影してお伝えします。

 

でも、最終的にどのように答えを受け取るかはその人次第です。

 

 

 結局

 

結局の所は自分次第です。どんな答えを選ぶのかは自分の中。

ただ見えなくなってるだけ、もやがかかってしまってるだけ、

そのもやをスッとふいてみる、水をかけてみる、そっとふいてみる、

もやがかかってることをそれとなく伝えてみる。

 

でも、もやを取り除けるのは自分だけです。

 

結果、どんなことが起こるのか。起こったのかは自分次第です。

 

 

結果

だいたい、うまくいけばあの時きいてくれたおかげだよ。

失敗すれば、。。。分かる人はそれも自分の招いた結果ときづけるので

きいてくれたおかげだよ。となります。

 

あのとき、あのとき、たられば、なんてよく言います。

誰に相談し、誰の意見を聞き、何を決断し、どの結果が生まれてのか。

すべては自分。家族でもなく、相談相手でもない。

 

決めて行動した自分。

 

見えていないときこれが、すべて見えていない。

全部自分の中にあることを。自分が決めてきたことがすべて結果になっていること。

一瞬、一瞬の取捨選択が今の自分。何もかもが自分のなかにある。と

思えるようになれば生きやすいのにね。