なんだって?????

わかってること、知ってること、経験したこと。

それは、そうなった人にだけ附に落とせること。

素直にありのままに受け入れて、ってよく言うけど渦中にいるときには

 

受け入れるって何?何を?  

あんっだって????  

とけんさんになるだろう。

 

都合のいいことしか聞けないし、入ってこない。受け入れられない。受け入れ方が分からない。受け入れる入れ物すらない。

 

なので、あーするとこうとか、こーするとこうとか。よくいう法則とかそんなこと

さっぱりわからない。

 

そうできないからそうなってしまう。

それすらも、その人にとって経験となるだろう。そこを通らないと先には辿りつけない。

トンネルをくぐって先の景色がある。

昔にはそのトンネルもなく険しい道を山を登り谷をくぐり辿りついたのだ。けど、見える景色はどうだろう。

暗闇をすすんで光に向かうのか、自然の中太陽の光を浴びながら、風を感じながら、時間を感じながら先にむかうのか。

時間がかかってもその間に体感するものは、トンネルより体力的に厳しくてもきもちいいものかもしれない。

そして、好きで登山を選んでする人もたくさんいるわけだ。

 

さらにドローンを使って先を見るだけで満足する人もいるだろう。

 

飛行手段を使って、さきのさきにたどり着く人もいるだろう。

 

それは、そのひとの選んだ方法だし、置かれたその人の人生の学びを奪ってしまうことにもなりかねない。

選択肢をたくさん持てるか持てないかは、その人次第であると思う。

 

 

楽にだけではない

楽に

 

楽にってなに?

楽って簡単にってこと?たのしくってこと?

人によって求めるものが違う。人によって苦労や辛さを感じる感覚は違う。

 

女子トイレを掃除していたお爺さんに

「女子トイレをお掃除していただいてホントにありがとうございます。おつらくないですか?」とお聞きした事があります。

「いえ。これが仕事ですから」と黙々と作業を続け次々入ってくる若い女の子に

「どうぞお使いください」と又黙々と作業を続けられました。

 

何が必要なのか、何が苦労なのか、何が大事なのか。

こんなにも違うわけです。

お爺さんたちの世代にとって女子のトイレに入ること。ましてや掃除をする。

なんてこと私には苦痛でしかないと思っていました。けど、それは思い込みでお爺さんにとっては給料をもらえるお仕事なんです。生活か趣味かなにかを支える財源なんです。それとも仕事をすることに価値をもってるのかもそれは誰にもわかりません。

 

多様性なんてよく聞くようになりましたが、これもそういうことの一つ。

普通だったら   とか  

当たり前に考えて   とか

そんなのは本当、どーでもいいこと。

 

履いてる靴や、仕事のことや、挨拶の仕方や、考え方まで、

いちいちご丁寧に観察をし、指摘をし、相手を不快な思いをさせ楽しんでる方が

今までどんなに周りにいたことでしょうか。それで、その方は満足だったのでしょうか?毎日マウントをとり自分の地位に安心していたのでしょうか?今となってはどーでもいいことでした。

人に振り回され一喜一憂して相手の満足感のために日々を使っていた自分を慰めてあげたいです。よく頑張ったね。

 

楽に、楽しく、それは人それぞれであっていいわけです。

 

 

正解はどこにもなくて結局は自分の中にある。誰が何を言おうとやろうと自分の中にある答えを自分で見つけるしかないようです。