で、結論ですが、嫌な出会いや困難な出会い(人でも物でも何かの出会いでも)の時に、この出会いを体験したので、ここで強いネガティブな感情(恨みや妬みや憎しみや悲しみなど)をうまく消化し乗り越えると(できるだけ客観的にみる)、その体験が硬い食べ物を消化して栄養になったということで、因果やカルマの呪縛から解放された体験だったとなります。

都合の良い考え方かもしれませんが、それも生きる知恵で、精神的なストレスのダメージを軽くする方法だろうと思いますし、スピが真実だった場合、本当にカルマの呪縛からそれだけ外れることができた(小さなものだとしても)という体験になります。

以前、霊界の話で、イタリアのベネチアという観光地に有名な橋があり、ある男女が小さなころから死ぬまで、その橋ですれちがいながら憎しみあっていたそうです。
人間どうしても馬が合わない人はいて、とくに理由もなく憎しみ嫌いあう場合がありますが、そんな二人でした。(不思議ですが、たぶん因果なのだろうと)

そして、二人とも同じ頃亡くなったのですが、その二人を助けていた指導霊たちが、その橋の上で霊になった二人を出会わせたそうです。
その後、特に何もなく、それを区切りにそれぞれの霊界の居場所に導かれて別れて去ったそうですが・・。

会うということ自体が、清算を意味する場合もあり、それが瞬間の時もあれば、長い人生での腐れ縁の時もあるそうです。


上記の二人も、それでいったんの区切りがついて、その人生の体験で清算ができたのかもしれません。(詳しいことはよくわからず、説明が書いてなかったので)

出会うということに何かの意味があるということなのでしょうね。(清算や発展や気づきや何やかや・・そう思うと乗り越えやすいのでは・・安くない?・・ひぇ~すみませ~ん!・・ひれ伏して謝っている様子)