私の好きな歌姫たち。
二人とも山口百恵さんのカバーしてるんです。
どちらとも違った意味でかっこいい♪
ペタしてね



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今日はお昼から雷が鳴って嵐に。。。

夕立ではないし、ゲリラ豪雨というのでしょうかね。

嵐は嫌いじゃないです。

むしろ思いっきり荒れてくれるので気持ちがよい~(・ω・)/

でも外のお仕事の方には気の毒ですね。ごめんなさい★

お仕事おつかれさまです~!


こんな嵐の中、外に出る気にもならず…。

100円カッター^^を片手に切り紙の本にあるパターンで♪

デザインカッターがあるといいのでしょうね。

でもまだ初心者なのでまずは、ね。

これが結構ハマります☆

折り紙を幾重にもたたんでカッターで模様を切り抜いていくのだけど、最後に開く時がドキドキ恋するくーまん

切り抜いていたときには想像もしていなかった紋様の世界が広がります♪

下手っぴでもいいじゃんっとか、玉手箱なカンジが好いキラキラ

上の画像は、『七夕』をイメージして。左下に指が映っていますが気にしないように(笑)

今年の7月7日は満月なんですね!お天気になるとよいのですが…。

切り紙はモービルにしたり、グリーティングカードに貼ってデザインしたりと演出もいろいろできそう♪

久しぶりの手仕事に心が喜んでいますモカ



…切り紙ではなくて切り絵アーティストで福井利佐さん という方がいます。

とても有名な方なので御存知の方も多いと思います。

切り絵というと、とても和なテイストで二次元、渋い絵や絵本を想像されると思いますが、この方の作品はパッションに溢れています白薔薇

とても立体的で意志のある色使い、流れる線が魅力的です。

よろしければリンクの作品をご覧くださいね!

彼女のブログのプロフィールの詳細情報にいくつかありますよ。


ではまたね 今日もありがとう(。-人-。)


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宮内庁に御料鵜飼がある。

鵜飼の歴史は古く、かつては広くアジア地域にも見られましたが、今残っているのは日本と中国のみだそうです。

日本では『古事記』や『日本書紀』にその記述がみられ、律令時代には宮廷直属の官吏として鵜飼人(鵜匠)が存在しました。

天皇に直属し、神饌の性格を持った御贄(鮎)を扱う鵜匠の立場は古くは「聖なるもの」に属すると考えられ、各地の鵜飼は諸大名の保護のもと続けられていました。

しかし,明治維新とともにその保護も無くなり,古代漁法として伝承されてきた鵜飼漁法は消滅の危機に瀕しました。

もちろん観光目的の鵜飼いとは違い、純粋に漁をして皇室に収められる漁のことです。

そうした中,明治23年,時の岐阜県知事の要請を受けて,宮内省は鵜匠に職員の身分を与えるとともに,長良川に3か所の御料場を設置し,引き続き,御料鵜飼として鵜飼漁が行われるようになりました。
この鵜庄は世襲制だそうです。


鵜庄は自宅で鵜とともにくらしています。

面白い習性があって、漁へ行く時や夜眠るときなど、鵜は常に2羽ずつ籠に入れられます。

このペアを『かたらい』と言います。

ウミウは自然界では同年に同じコロニーで生まれた一羽とだけ仲良くなる習性があり、それにならってわざと決まった鵜同士を一緒に過ごさせます。

かたらいに性別は関係なく、鵜庄にも雄雌の区別はつかないそうです。

鵜は生涯鵜庄の自宅で暮らします。


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上は鵜庄さんの家の鵜の小屋。籠がたくさん並べられていますね。鵜は人懐っこいらしい。

下は船頭さんが籠に入った鵜を船着き場へ運んでいるところ。か~ごのな~かの鳥は♪

(写真は『皇室 夏の号』より)


また、アイヌの説話にも鵜がでてくる。

そのあらすじは以下


海鵜の神は、岩礁に座って翼を乾かしている。

するとそこにシャチ神の一行がやってくる。

背鰭の長大なシャチを先頭に、白い背鰭のシャチ、背鰭に穴のあるシャチ、背鰭の短いシャチ、背鰭が大きいが曲がっているシャチ、背鰭の黒いシャチが泳いできたが、その末尾にはサメが従っていた。

先頭にいた背鰭の長大なシャチ、つまりレプンカムイは、海鵜に気づくと後ろを振り返り、「かしこい神がいるから、礼儀ただしく振舞うように」と、後ろにしたがっているものたちに申し付けた。

シャチたちは、長の言葉に従い、穏やかに浮いたり沈んだりしていた。

ところがサメはそうしなかった。

「海鵜の野郎、テメエ一人威張り腐りやがって!」てな台詞をはくと、ことさら無作法に跳ね回った。

シャチの長はサメを睨みつけた、「そういうことを言うのは、まことにけしからん。昔からの言い伝えを知らないのか。シャチ神一行の陸行きについてきたサメが無礼な振る舞いをし、怒り狂った海鵜の神がサメを追いまわすうちに、シャチが皆殺しになったという伝えを」

その言葉の終わらぬうちに、海鵜は海上へ飛んで行き、サメを追い始めていた。すると、海の水は上下に覆り、大荒れに荒れた。

東の海、西の海と、鵜がサメを追いまわすうちに、大しけに呑まれてシャチの一行はサメを除いて皆、死んでしまった。

なおも追跡を続けているうちに、海鵜の神は疲れ果て、とうとうサメを取り逃がしてしまう。

いまいましくてならない。


言い伝えがそのまま現実になる。神々はまことに、循環的な時間を生きている。というもの。

話の中では神様であるシャチやサメよりも、賢くて畏れ多い神として鵜が描かれている。

やはり海の中のみならず陸や空をも自由に行き来できる鵜は神秘的に見えたのでしょうね。

鵜は神様。黒い羽に青緑色の瞳…まるで翡翠のよう。

翡翠といえば勾玉が翡翠でできています。

そして魚に占うと書く『鮎』と関わりの深い霊的な存在なのですね。

うーさまは謎が多いなぁ。


memo

17日午後5時6分 桜島噴火昭和火口 今年81回目

もうひとつの君が代 より引用。


「君が代」が最初に作られたのは1870(明治3)年のことでした。

歌詞は古今集に読み人知らずとして載っているものとも、古歌薩摩琵琶歌「蓬莱山」の中にあったものとも言われています。

作曲したのはイギリスの軍楽隊長ジョン・ウィリアム・フェントンですが、メロディーは今のものとは違っていました。

その後海軍省は歌詞に合うメロディーを宮中音楽の様式で作るよう、宮内省に依頼しました。

その結果、1880(明治13)年、一等伶人(楽人)林廣守(ひろもり)の撰によって、伶人奥好義(よしいさ)の作ったメロディーが提供され、それをフェントンの後任の海軍軍楽教師フランツ・エッケルト(ドイツの音楽家)が吹奏楽に編曲して、現在の「君が代」が完成したのです。

その翌1881(明治14)年、文部省音楽取調掛が発行したわが国初の音楽教科書「小學唱歌集初編」(大日本図書株式会社刊)には、それとは全く異なった「君が代」が載っています。


1番:
君が代は ちよにやちよに さざれいしの 巌となりて こけのむすまで 
うごきなく 常盤(ときは)かきはに かぎりもあらじ

2番:
君が代は 千尋(ちひろ)の底の さざれいしの 鵜のゐる磯と あらはるゝまで かぎりなき みよの栄を ほぎたてまつる



1番は、前年に作られた「君が代」に、当時この教科書編修に参加した東京師範学校教員の稲垣千頴が後半の歌詞を創作して補ったとされ、

2番の始めの和歌は源頼政の作と言われています。後半は同じく稲垣の創作。


なかなかお目にかかることのない君が代バージョンですね。

結果的には現在の君が代が歌われていますが、上記の2番に『鵜のゐる磯と…』とあるように

なぜか『鵜』が登場しているところが興味深い。



このところオタマジャクシが空から降ってきますねぇ。また静岡でも・・・。

オタマジャクシスポット?の金沢県七尾市では4日に100匹にものぼるオタマジャクシが目撃されました。

そのオタマジャクシは多分関係ないのですが、同じ金沢県の羽咋市には気多大社さんがあります。

このお宮では『鵜祭』なるものが12月16日に執り行われます。

ちょうど半年後ですね。



このお祭りは由来は明らかではありませんが、神社の所伝によれば、祭神の大国主神さまが神代の昔、初めて七尾市鵜浦町の鹿島に来着したとき、同地の御門主比古神さまが鵜を捕らえて捧げた故事によるとか、

あるいは同地の櫛八玉神さまが鵜に化して海中の魚を捕って献上した故事にもとづくと説かれています。


その一連の神事というのは、鵜は七尾市鵜浦町の海岸で、一子相伝の秘技によって捕えられ、その場から「鵜様」と呼ばれる。

12日早朝、鵜取部〔うとりべ〕と呼ばれる人が、籠に入れた鵜様を背負い「うとりべー、うとりべー」と声を発し寄進を頂きながら、同大社まで2泊3日の鵜様道中を行う。

鵜祭は16日午前3時から、2本のろうそくがともされた神前で進められ、神職と鵜取部の掛け合いの後、かごから鵜様が放たれる。

ハイライトは案台に上がる鵜様の動きで、これによって吉凶が占われることになる。

鵜はやがて捕えられて暁の海岸で神主により放たれるというものだ。


この神事は金春流の謡曲『鵜祭』の舞台となっています。



そのほかにも若狭の遠敷のお水送りにも鵜はでてきます。


昔、東大寺さんの修二会に全国の神さまを招いたところ、魚釣りに夢中になっていた遠敷明神さまだけが遅れてしまいました。
そのお詫びに、ご本尊に供える閼伽水を送るといい祈願したところ、二月堂の下から白と黒の鵜が二羽飛び出し、そこから水が湧き出たのを、若狭井とよんで水を汲む行事をお水取と呼び、今でも毎年3月2日に若狭から水を送り、12日に東大寺でお水取という行事が行われています。


また鵜の羽を拭き終わらないうちに生まれた、ウガヤフキアエズさまの神産みの神話。

持統天皇の諡号の鸕野讚良(うののささら=鵜の羽を束ねたもの)

鳥巫女という言葉があるように、鵜の羽は神霊が降りる依代、また神をよせる巫女が用いるという意味をもっているようです。


鵜というのは、鳥でありながら、水中深くに長い時間潜る事ができます。

この羽にははっ水性が低いため、水中での抵抗が少ないそうです。

だから磯では水中からあがった鵜がぼんやりと羽を乾かす姿が見られます。
鵜は空と陸、水中を自在に行き来する事ができる能力を持った存在。
古代、水は霊的な世界に深く関連すると考えられてきており、鳥自体が霊性の象徴でもあったため、昔から鵜飼いは神聖な職業とされてきました。

日本では海鵜で鮎を捕りますね。
神功皇后は鮎を釣って占いをしていますが、まるで鳥の巫女のようです。

天女さまも羽衣をまとっています。



七尾市のオタマジャクシと鳥の羽が気になったばかりにこんな話に…。

案外『鵜』は鮎を仮死状態にして飲むのでオタマジャクシも同じように飲んだのかなぁ?(笑)

なんて冗談です。