対岸の彼女/角田 光代

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角田光代さんの「対岸の彼女」です。
確か直木賞とか取ってた気がします←裏取れ
角田さんの作品は「トリップ」以来ですね。
だいぶお久しぶりなので忘れちゃいましたがw
なんとなくイメージ的に暗い印象の話が多いかなぁ。
でも巧み繋がってていい。
対岸の彼女もお話としては
気弱だけど、周りと交わることに違和感を感じてる小夜子と
旅行会社の女社長の葵、
その葵の高校生のときの友だちナナコっていう
3人を巡る話しで
いつも唯一無二の誰かとふたりで
ここではないどこかに行きたいと考えるっていうのが
主軸にある話しでした。
小夜子と葵の関係性が葵とナナコの関係性と
上手に対比してて
葵が同じ立場を繰り返すんじゃなくて
年を取って後者に移行してるところが
いいなって思いました。
あと『対岸の彼女』はお互いのことを指しているのかと
思っていたら
実はそうじゃなかったっていうのが
最後よかったですね。
ただ、あたしにはそう思う人はいなかったなっていう
どっか寂しさみたいな、
孤独感みたいなのが残りましたね。
あたしの中で自分には親友と呼べる友だちがいるのかって
結構小さなときから思ってて
それはたぶん、どこかであたしが相手を拒否してるからなんだけど。
それでも中高生のときは
その穴を埋めるべく、誰かとつるんだり、それを維持するのに
すごい奮闘してたんだけど
今は一人が気楽、でも友だちと話すのも楽しいよ
っていうスタンスなんですよね。
大人になったように見えて
でも実は変わってないんだよね、根本は。
ただ、だらしない自分に正直になった感じ。
というか、誰もあたしの周りにいないって状況は
生まれないだろうっていう気持ちがあるからだと思うんだけどね。
でも、実際どっか別の世界に行ってしまいたいてのは
結構いつもあるかもしれない。
過去に戻りたいっていうのは絶対あるけど。
それとは別に、違う人生を感じたいというか。
これは(若干脱線しますが)昔から脳内にあることなんだけど
自分の人生がひとつの棒だとしますね。
このときあたしの脳内のイメージは
クリーム色の半透明の筒に今までの映像が立体に写って見える。
その棒が触れ合ったりすることが人と「出会う」という状態。
もし、あたしがあたしじゃなくて
誰かの人生を生きていて
あたしを別の人が生きていたら。
違う親で、違う顔、違う暮らしをしていたら。
(でも意識だけ自分っていうご都合主義)
そしたらあたしはどんな人生を送っているのか。
不満はあっただろうか。
もちろん誰かの方が少ないように思えるからこそ思う空想だけどね。
そういうこと、よく考えます。
最近は減ったけど。
この「対岸の彼女」読んでて
なんとなくそれを思いました。
過去と現在と未来と
入り交じって、でも重なっているような…
混乱してるようでしてない…
そういう話です。
抽象的でほんとに申し訳ない。
よかったら読んでみてください。

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角田光代さんの「対岸の彼女」です。
確か直木賞とか取ってた気がします←裏取れ
角田さんの作品は「トリップ」以来ですね。
だいぶお久しぶりなので忘れちゃいましたがw
なんとなくイメージ的に暗い印象の話が多いかなぁ。
でも巧み繋がってていい。
対岸の彼女もお話としては
気弱だけど、周りと交わることに違和感を感じてる小夜子と
旅行会社の女社長の葵、
その葵の高校生のときの友だちナナコっていう
3人を巡る話しで
いつも唯一無二の誰かとふたりで
ここではないどこかに行きたいと考えるっていうのが
主軸にある話しでした。
小夜子と葵の関係性が葵とナナコの関係性と
上手に対比してて
葵が同じ立場を繰り返すんじゃなくて
年を取って後者に移行してるところが
いいなって思いました。
あと『対岸の彼女』はお互いのことを指しているのかと
思っていたら
実はそうじゃなかったっていうのが
最後よかったですね。
ただ、あたしにはそう思う人はいなかったなっていう
どっか寂しさみたいな、
孤独感みたいなのが残りましたね。
あたしの中で自分には親友と呼べる友だちがいるのかって
結構小さなときから思ってて
それはたぶん、どこかであたしが相手を拒否してるからなんだけど。
それでも中高生のときは
その穴を埋めるべく、誰かとつるんだり、それを維持するのに
すごい奮闘してたんだけど
今は一人が気楽、でも友だちと話すのも楽しいよ
っていうスタンスなんですよね。
大人になったように見えて
でも実は変わってないんだよね、根本は。
ただ、だらしない自分に正直になった感じ。
というか、誰もあたしの周りにいないって状況は
生まれないだろうっていう気持ちがあるからだと思うんだけどね。
でも、実際どっか別の世界に行ってしまいたいてのは
結構いつもあるかもしれない。
過去に戻りたいっていうのは絶対あるけど。
それとは別に、違う人生を感じたいというか。
これは(若干脱線しますが)昔から脳内にあることなんだけど
自分の人生がひとつの棒だとしますね。
このときあたしの脳内のイメージは
クリーム色の半透明の筒に今までの映像が立体に写って見える。
その棒が触れ合ったりすることが人と「出会う」という状態。
もし、あたしがあたしじゃなくて
誰かの人生を生きていて
あたしを別の人が生きていたら。
違う親で、違う顔、違う暮らしをしていたら。
(でも意識だけ自分っていうご都合主義)
そしたらあたしはどんな人生を送っているのか。
不満はあっただろうか。
もちろん誰かの方が少ないように思えるからこそ思う空想だけどね。
そういうこと、よく考えます。
最近は減ったけど。
この「対岸の彼女」読んでて
なんとなくそれを思いました。
過去と現在と未来と
入り交じって、でも重なっているような…
混乱してるようでしてない…
そういう話です。
抽象的でほんとに申し訳ない。
よかったら読んでみてください。